寺子屋スジャータ

砂漠の旅(ジャータカ 第2話)

再話:藤本 竜子
絵 :ただ りょうこ

2021/3/11開催 第8回オンラインこども仏教教室より

ジャータカ第2話:砂漠の旅

むかしむかししゃさまがまだブッダになられるまえぜんさつであったときのおはなしです。
しゃさまは、バーラーナシーのみやこだいしょうにんいえまれました。おおきな貿ぼうえきをすることがそのいえぎょうでした。
大人おとなになってぎょうぐと、とおこくとの貿ぼうえきをいとなみました。なんげつもかけてとおくにたびをして、またなんげつかけてかえってきます。たびなんねんもかかることもありました。
この貿ぼうえきしょうは、貿ぼうえきをするためのぐるまを500だいっていました。500だいぐるましょうひんをいっぱいんで、ウシやラクダにひかせて、ばくけて、ばくこうのこくまでたびをします。
ぶんくにはいしょうひんい、ぐるませてたびます。いたこくではめずらしいそのしょうひんたかれます。そうしてたおかねで、そのくにめずらしいもの、ちのあるものをいつけて、また500だいぐるまをいっぱいにして、ばくけてかえってきます。こくしなものはこちらではまためずらしがられるので、たかれるのです。そうやって、とおみちのりをたびすることで、ぶんくにとおこくと、りょうほうくにでよいしょうばいができました。
しかし、ながたびにはけんはつきものです。どくへびやサソリ、せいどうぶつおそわれることもあります。とうぞくしゅうげきしてくることもあります。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

なかでも、ばくたびはたいへんでした。いっぽんもない、すなだけのすすまねばなりません。みずがないのです。
ですから、ばくはいまえに、ものみずきにひつようまきじゅんして、しょうばいしなものとはべつに、それもはこんでかなければなりません。500だいぐるまをひきいたたびですから。500にんぎょしゃと500とうのウシたち、それから、とうぞくおそってくるかもしれませんから、ようじんぼうになるひとたちもひつようです。そのぜんいんものみずまきはこんでかねばならないのです。それはおおきなもつまんさいにしただいキャラバンのたびでした。

さて、この貿ぼうえきしょうこんかいこうとするくにへは、ちゅうおおきなばくがありました。ばくきょは60ヨージャナだとわれています。1ヨージャナはいちにちすすめるきょのことです。ですから、60ヨージャナのばくということは、60にちかん、ずっとばくなかすすむということになります。
キャラバンのたいちょうは、ばくまえにんげんさいまちで、ぶんたちぜんいんうしたちの60にちぶんしょくりょうみず、それからきにひつようまきじゅんしてみました。60にちかんも、ちゅうものみずまききゅうができないのですから、ねんりにそろえてなんかぞえて、きっちりとみました。そうやってしっかりとじゅんをして、ばくたびしゅっぱつしました。
そこは「なんしょなかなんしょ」とわれるばくでした。60にちかんひとんでいるところはまったくありません。まえてもうしろをても、みぎてもひだりても、すながいなにえません。いってきみずもないのです。
ばくすなですくってにぎろうとしても、こぶしのなかすなはさらさらとすべりちてしまい、なかにはなにのこりません。それぐらいこまかくてすいぶんをまったくふくまないすなでした。
あさたいようがると、ぐんぐんとおんがり、あつけたフライパンのうえあるいているようになります。とてもあるくことはできません。っているだけでねつにやられて、ひからびてしまいます。
よるはんたいに、おんがものすごくがります。しかし、そのほうがましでした。たびよるすすめるしかありません。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

のぼると、ぐるままるあつめて、そのうえおおきなテントをり、そのかげすわってしょくをして、やすみます。れてだいえてくると、テントをかたけてぐるまみ、しゅっぱつします。ひるあつさにえてじっとしていて、よるになったらすすむ、そうやってたびをしました。

ばくたびは、どちらをいてもすなすなすな。いったいどうやってほうこうがわかるのでしょう。うみたびおなじなのです。ほしじるしにしてすすむのです。だから、ほしほうがくり、すすむべきみちあんないするひとひつようです。ほししきがあり、ばくたびあんないできるひとは、とてもじゅうようやくわりでした。もし、ばくほうこうがわからなくなり、まよってしまったらどうなるでしょう。ていにっすうばくわるところまでたどりくことができなかったら、んでいるみずがなくなったところで、そのたびわりです。ぜんいんがそこで、ぬしかなくなってしまいます。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

そんなけんばくたびいちにちいちにちつづけました。そして、とうとう、このだいキャラバンは59にちたびえました。あといちにちあるけば、このばくわります。ひとまちえるでしょう。みどりくさにすることができるでしょう。そして、みずきなだけめるでしょう。みずびだってできます。
あといちにち。もう、ばくたびのためにたいせつはこんできたもつはほとんどいらないものになりました。もしものためにとはこんできたみずまきは、もういりません。ぶんもつてて、すこしでもがるになって、あとひとばんだけすすみましょう。あさになったら、まちえてくるはずです。
そこで、ゆうしょくわって、しゅっぱつじゅんをするときに、のこっているまきあまったみずててぐるまかるくしてととのえると、キャラバンはしゅっぱつしました。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

ばくあんないにんせんとうぐるまっています。ぐるまぬのをしいてそこによこになり、ぞらながめて、すすむべきほうこうします。ほしればほうこうははっきりとわかります。
「このほうこうすすめ。」とって、ぐるますすはじめ、500だいぐるまだいキャラバンがあとつづいてうごすと、あんないにんはほっといきをつきました。
ながいのたびでした。ひるやすんではいましたが、ねっぷうなかではなかなかねむることができません。たいりょくしょうもうしないように、じっとしていることがやっとでした。よるはずっとほしながつづけ、ほうこううしなうことがないように、しゅうちゅうしていなければなりませんでした。やすまるひまはまったくありませんでした。ほかひとたちはこうたいぐるまうえねむりながらすすむこともできました。しかし、かれはほとんどでねむることがないまま、ながたびつづけてきました。
つかれていたかれが、ほんのちょっとまぶたをじると、らないうちに、ふかねむりにきずりまれていました。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

うしはまっすぐあるいているようにえましたが、のでこぼこがあると、ちょっとずつすすんでいるほうこうがぶれてしまいます。ほんのちょっとずつのずれでしたが、いつのまにか、しんはまったくぎゃくほうこうになってしまっていました。だれもそのことにづきませんでした。だいキャラバンは、まちほうこうではなく、みちぎゃくほうこうすすんでしまっていたのです。
あんないにんぶんねむんだことにづいてもいませんでした。ほんのちょっとじて、すぐにけたつもりでした。でも、ををけるとけになっていました。びっくりしてあわててほしてみると、ほうこうぎゃくになっています。
たいへんだ!!」
おおごえで「まれ!まれ!ぐるまほうこうえよ。」とさけびました。けれど、500だいぐるまきをぎゃくにするのはかんたんなことではありません。ぜんいんして、ぐるまうごかしてじゅんばんならべたりつなぎかえたり、おおさわぎでした。そうやってたいれつをととのえているあいだに、はやくもけてしまいました。
あかるくなって見てみると、そこはわたすかぎりばくでした。いくらをこらしても、どこにもまちなどえません。いったい、ぶんたちはどのあたりにいるのでしょうか。ひとばんじゅうすすんで、ばくなかにもどってきてしまったのです。
しかし、もうみずまきもありません。このねっぷうなかで、みずなしでいったいどのくらいもちこたえられるでしょうか。
「ああ、もうだめだ。」ひとびとぜつぼうして、がっくりとひざをとしました。
ようやくテントをりましたが、しょくじゅんはできません。みずまきもないのですから。みな、それぞれのぐるましたすこしでもすずしいところにうずくまって、ものをりょくさえなくして、よこたわっていました。
キャラバンのたいちょうは、このだいキャラバンがたいへんおちいったことをだれよりもよくわかっていました。このたいへんなかで、こうかんがえたのです。
わたしがあきらめてしまったなら、このキャラバンのぜんいんがここでぬことになるだろう。わたしりょくててはだめだ。」
そこで、まだあさはやいうちに、しゅうあるいてまわりました。じっと、じっと、よくよくました。そうすると、すなばかりのばくですが、ちょっとしたひくくてほそがあり、くぼみにはいくらかくさしげみになっているところがつかりました。ちいさくて、たない、ささやかなしげみでしたが、このたいちょうのがしませんでした。そして、こうかんがえました。
ばくのこのくさがはえるということは、みず湿しっがあるということだ。もしかしたら、すいみゃくがあるのかもしれない。」
たいちょうちからのあるものたちをえらぶと、すきたせて、そのしょらせました。
1メートル、2メートル、3メートル、…5メートル、……。まだりました。もうそうとうなふかさです。

ふかさが10メートルをこえたところで、っていたひとちこんだすきがガツンとなにかにたりました。調しらべてみると、おおきないわがあって、そこからはもうれないことがわかりました。
このふかさまでるだけでもたいへんなごとでした。みな、あせだくになってりました。でもみずはないのです。それでもがんばってつづけてきましたが、これじょうはもうれないのです。みずませんでした。
だれもががっかりして、たいりょくりょくもすっかりなくなってしまいました。
「ああ、もうだめだ。」
くちからことはそれしかありませんでした。
たいちょうであるさつは、そのときまた、こうおもいました。
わたしがここであきらめたら、おしまいだ。わたしりょくててはだめだ。」
そこで、たいちょうあなそこりていって、そのしょをじっとかんさつしました。あしもとのおおきないわれ、それからうずくまってみみててみました。じっといていると、したほうみずながれるおとがします。
「このいわしたにはみずながれている。よし。もういちやってみよう。」
たいちょうあなのぼってそとると、うずくまっているひとりのちからちのおとこにこういました。
「きみのちからひつようだ。きみがりょくててしまったら、わたしたちはぜんめつするしかない。
きみはあきらめず、このてつのハンマーで、あのいわおもちこんでくれ。」

ジャータカ第2話:砂漠の旅

そのおとこもほかのひとびとおなじように、ぜつぼうしてただじっとしていたのだけれど、たいちょうことくと、
「わかりました。やります。」
とハンマーをって、あなそこにおりてきました。
おとこはハンマーをかまえると、あししたかたいわをじっとました。そして、いわをめがけて、こんしんちからでハンマーをろしました。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

そのいちげきで、いわはまっぷたつにれてしたち、すいみゃくをせきめました。たちまち、せきめられたみずがりました。すごいいきいでみずばしらちました。ヤシのたかさぐらいのおおきなみずばしらきあがり、それからひとびとうえにシャワーとなってりそそぎました。
ひとびとかんせいをあげて、おどりました。あたまからシャワーをあびながら、くちをあけて降ってくるみずみました。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

そのあと、ぶんぐるまかいたいしてまきにして、おかゆをました。じゅうぶんりょうではありませんが、みながべてうしにもべさせました。

ジャータカ第2話:砂漠の旅

れると、みずあなのそばにはたてて、キャラバンはしゅっぱつしました。こんこそ、ほうこうをまちがえることなく、まっすぐにひとまちしてすすみました。そして、けとともに、とうとうばくけて、まちえてきました。

その、キャラバンはとおこくとうちゃくし、はこんできたしなものり、ったときのなんばいものおかねて、そのおかねじょうとうこくしなものをたくさんいつけて、ぶんくにもどってったということです。

 

 

このものがたりのメッセージ

  • ものごとをなしとげるためには、りょくひつようです。
    こんなんがあっても、あきらめず、りょくてないことがたいせつです。
    くじけず、あきらめず、りょくてないひともくてきたっします。
  • リーダーであるひとは、とくにあきらめてはなりません。
    リーダーがあきらめてしまうと、みんなもダメになってしまいます。
    リーダーは、まわりのみんなとぶんたすけるために、さいまでがんらねばならないのです。
  • ピンチのときにおちいったとき、れいせいじょうきょうかんさつし、よくてみることがひつようです。
    おこったり、あわてたり、いたり、なげいたり、ぜつぼうしたりしても、じょうきょうはよくはなりません。
    れいせいひといちばんほうほうつけることができます。
  • このキャラバンではうしたちもたびなかです。すこししかないしょくりょうをうすいおかゆにしてべましたが、みんなでい、うしたちにもべさせていましたね。まんぷくにはなりませんが、みんなでピンチをしのぐことができました。

(おしまい)

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