人格診断テストのおはなし(ジャータカ 第305話)
昔々、バーラーナシーという都で、ブラフマダッタ王が国を治めていた時のお話です。
当時 、由緒ある家柄の若者たちは、大人になったら家を継ぐのが習わしでした。
代々続いてきた家の主人として、家業を営むのです。それができるようになるためには、たくさんの勉強をして、いろいろなことを身につけて、しっかりした人間にならなければなりません。
勉強のために、若者たちは良い先生のところに弟子入りして、学生となります。
先生のことは師匠として、とても敬います。師匠のところで暮らしながら、いろいろな学問や作法やしつけを教えていただきます。仕事のために必要なことも、人間として必要なことも、すべて教えていただきます。師匠のお世話をしたり、言いつけを守ったりすることも勉強です。
バーラーナシーの都に、ある師匠がいました。その師匠はすぐれた師匠として有名でした。都だけでなく、ほうぼうにその師匠の名前は聞こえていましたので、都から遠く離れたところからも、たくさんの若者が弟子として学びにやって来ました。この時には、五百人もの若者が、その師匠のもとで暮らしていました。
さて、その師匠には娘がいました。ちょうど年頃になって、結婚相手を探すことになりました。師匠は、娘がお嫁に行って幸せに暮らしていくためには、どんな相手がふさわしいだろうかと考えました。
顔かたちが美しく、からだがたくましい人だろうか。
お金持ちがいいだろうか。
頭がいい人だろうか。
それともすぐれた人格のある、道徳が身についている人だろうか。
その師匠は、人格が一番大事だと考えました。
「幸せに生きていくためには、何よりも人格が大切だ。よし、私の五百人の弟子たちの中で、道徳がそなわった立派な人格の者に、娘を結婚させるとしよう。」
と決めました。
ではどうやって、すぐれた人格かどうか、見極めればよいのでしょう。
師匠はひとつのテストをしてみることにしました。このテストで、弟子たちに道徳がそなわっているのかどうかを、診断してみることにしたのです。
師匠は、五百人の弟子の若者たちを集めて、こう言いました。
「きみたち。私の娘が年頃になったので、私はあれを嫁入りさせようと思っておる。しかし、嫁入りさせるには、衣装やアクセサリーが必要じゃ。私は衣装やアクセサリーを用意しようと思うのじゃが、きみたちにひとつ協力してもらいたい。
きみたちは自分の親類のところから、誰にも見つからないように、衣装やアクセサリーを盗み出して、持って来るのじゃ。
よいか、誰にも見つかってはならんぞ。私は、誰にも見られずに持ってきたものだけを受け取ろう。誰かに見られてしまったら、それは持って来ても受け取らぬからな。」
弟子たちはみんな、立派な師匠のかわいい娘さんをお嫁さんにほしいと思っていました。
ですから、師匠のこの話を聞くと、「わかりました。」と言って、それぞれ親類のところに行き、誰にも見つからないように、衣装やアクセサリーを盗んで来ました。そして、それを師匠のところに持って来ました。
弟子たちが次々と持って来る衣装やアクセサリーを、師匠は受け取りました。そして師匠は、受け取った衣装やアクセサリーが混ざってしまわないようにして、きちんと別々に大切に保管しておきました。
そのようにして、弟子たちは次から次へと衣装やアクセサリーを盗んで来たのですが、たった一人 、何も持って来ない弟子がいました。
師匠はその弟子のことがとても気になりました。
「これは、どうしてもあの若者に、なぜ何も持って来ないのかを、尋ねてみなければならんぞ。」
そう思って、師匠は若者を呼びました。
「あー、きみ。きみは私のところに、衣装もアクセサリーも、何一つ持って来てはおらんね。」
若者はこたえました。
「はい、お師匠様。さようにございます。」
「それはいったい、どういう理由があるのかな?」
「はい、お師匠様。お師匠様は、衣装やアクセサリーを、誰にも見られないように、盗み出して持って来るようにとおっしゃいました。誰かに見られたものは、お受け取りにならないのだと。」
「ふむ。そのとおりじゃな。」
「はい。ですが私は、悪いことをして隠しとおせるということは、ありえないことだと思うのです。」
「ほう、おまえはそう思うか。」
「はい、お師匠様。いくら隠れて誰にも見られないようにと悪いことをしても、世の中では隠しとおせるものではありません。『誰にも見られないようにするぞ』と思ったとしても、こちらが知らないだけで、誰かが、何かが、見ているものでございます。ひっそりとした森の中でも、私たちには見えないだけで、精霊たちが見ているかもしれません。隠しとおせると思うのは、愚か者ものの考えだと思うのです。
お師匠様。私には隠しごとなど、考えることもできません。
誰も見ていない場所などありえません。
たとえ誰もいなくても、それなら悪いことをしてもいいとは、私には思えないのです。
誰もいない場所であっても、私にとっては隠れていることにはならないのです。」
「そうかそうか。」
若者の話を聞いて、師匠は満面の笑顔でうなずきました。
「きみ。きみの言うとおりじゃ。
じつは、私はきみたちを試したのじゃよ。私の家に財産がないわけでもないのじゃ。だが私は、娘の幸せを願い、道徳がそなわった、すぐれた人格の人間に嫁がせたいと思ったのじゃ。
それで、弟子たちの中で誰が人格をそなえた者であるかと、診断するためにこんなことをしたのじゃ。
きみこそがふさわしい。きみはすばらしい人格の人だ。私の娘はきみにさしあげたい。」
師匠はそう言って、大喜びで、娘をその若者に嫁がせることに決めました。
それから、師匠はそのほかの弟子たちにも事情を説明し、みなが持って来たものを一人一人 に返して、それぞれ持ち帰らせました。
人格ができていない弟子たちは、娘と結婚することはできませんでした。道徳がそなわっているすぐれた人格の弟子が、結局は、娘と結婚することができました。
この物語の、道徳をそなえた若者は、お釈迦様の前世のお姿です。ボサツとして修行されていたときも、このように道徳を守り、真理に向かって努め励まれたのでした。
メッセージ
誰も見ていないからといって、悪いことをするのは、とてもかっこ悪いことです。
とても恥ずかしいことです。
そんなことをする人には、真理の世界に向かって歩くことはできません。
悪いことを隠しとおすことはできません。
どこであっても、誰かが見ています。誰かが気づきます。
誰も見ていない場所はありません。
目に見えない生命が見ているかもしれません。
誰もまったく見ていなくても、自分が見ています。
自分は、自分が悪いことをしたことを知っています。
だから、誰にも見られない場所はないのです。
すぐれた人格の人ひとは誰も見ていなくても、悪いことはしません。
では、自分が悪いことをしてしまった時は、どうすればよいでしょうか。
誰も知らないからといって、やったことがなかったことにはなりません。
もし、誰も気づいていなくても、悪いことをしてしまったら、さんげしてあやま
りましょう。
自分がやってしまったあやまちを、きちんと人に伝えてあやまることは、とても
大切なことです。それはよい行いです。勇気がいるかもしれません。しかし、き
れいな心になります。成長することができます。
(おしまい)
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