寺子屋スジャータ

19話 スジャーターの乳粥

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第2部 成道へ

第1章 苦行

19話  スジャーターのちちがゆ

南伝ブッダ年代記

 

菩薩ぼさつ(ボーディサッタ)の五大ごだい

みずから極端きょくたん苦行くぎょう(ドゥッカラチャリヤ)をやるのと、みずから極端な放埒ほうらつにふけるのと、その両極端りょうきょくたんけることによって菩薩は実践じっせんのやりかたをえた。菩薩は中道ちゅうどうをたどり、めいそう意義いぎふか進歩しんぽることが可能かのうになった。紀元前きげんぜん588ねんのウェーサーカーつき現代げんだいれき五月ごがつごろ)の月がちていく十四日目じゅうよっかめ夜明よあけがちかづいているとき、菩薩は五大夢をた。それは、ちか目標もくひょう達成たっせいしそうな菩薩にのみ見られる前兆ぜんちょうとしての夢だった。
五大夢とは、それぞれの夢の意味いみが、かれみずからによって、つぎのように解釈かいしゃくされている。

(1)大地だいち寝台しんだいにして、山々やまやまおう・ヒマラヤ山脈さんみゃくまくらに、かれはている。左手ひだりてひがし大洋たいように、右手みぎて西にしの大洋に、両足りょうあしみなみの大洋に、それぞれかれている・・・。

この最初さいしょの夢は、かれが至高しこう明智みょうちをさとり、人間にんげんかみがみ(デーヴァー)、梵天ぼんてん(ブラフマー)のあいだで目覚めざめたもの(ブッダ)となるであろう、ということを予告よこくしていた。

(2)ティリヤそう訳注やくちゅうくびきほどのおおきさのあかみをびたくきをもつ蔓草つるくさ一種いっしゅ。軛は牛車ぎゅうしゃをひくとう牛の首うし くびをつなぐゆみじょう器具きぐ)が、かれのへそからあらわれ、たかく高くてんとどくまでそだち、なんぜんヨージャナ(何まん㌔)もの上空じょうくうにとどまっている・・・。

この二番目ばんめの夢は、かれの聖八正道せいはっしょうどう(アリアアッタンギカマッガ)と中道ちゅうどう(マッジマパティパダー)の発見はっけんを予告していた。そしてまた、かれが人間と神々にそれをおしえることができるであろう、ということを予告していた。

(3)しろ胴体どうたいくろ頭部とうぶのウジむし大群たいぐんが、かれのあしのつま先から膝小僧ひざこぞうまでおおって、のろのろとっている・・・。

このさん番目の夢は、純白じゅんぱくふくたものすごいかずひとびとがブッダを崇拝すうはいし、ブッダの生涯しょうがいに、偉大いだい帰依きえをするであろう、ということを予告していた。

(4)さまざまないろ、つまりあおきんあかはいの四しゅの色のとり四方しほうからんでくる。りるとかれのあしもとにひれし、どれもしろくなっている・・・。

この四番目の夢は、戦士せんし階級かいきゅう司祭しさい(ブラーフマナ)階級、商人しょうにん(ヴェッサ)階級、貧民ひんみん(スッダ)階級というよっつのカースト(まれによる身分みぶん制度せいど)が、ブッダのおしえをよろこんでけいれるであろう、ということを予告していた。かれらは比丘びくとなって阿羅漢あらかんになるであろう、と。

(5)巨大きょだいふん山の上やま うえで、それにまみれることもなく、かれがったりたり、あるいて往復おうふくしている・・・。

この番目の夢は、世尊せそんしょくじゅうやく出家しゅっけ要具ようぐてもそうしたものの危険きけんって、目的もくてきをわかったうえで、強欲ごうよく錯覚さっかく執着しゅうちゃくなく、それらを使つかうであろう、ということを予告していた。

スジャーターが乳粥を献上けんじょうする

夜明けになって、菩薩はからだをあらきよめてから、山羊やぎいのバニヤンじゅ原注げんちゅう:パーリではajapāla nigrodha (アジャパーラ ニグローダ)、ラテン語ではFicus bengalensis(フィクス ベンガレンシス)のもとへ行った。托鉢たくはつへまわりにくまでのあいだ、その木の下き したすわった。かれのからだはかがやかしいひかりはなち、バニヤン樹全体ぜんたいがその光で照明しょうめいされた。
市場いちばまちセーナーニにはスジャーターというこころゆるやかな女性じょせいんでいた。この町のセーナーニー長者ちょうじゃむすめで、およそ二十年まえ、バニヤン樹のもとへき、こう祈願きがんしたのだ。
「ああ、守り神まも がみさま、もし、わたしがおなじカーストの裕福ゆうふくいえとつげて、息子むすこさずかりましたら、お礼にまいりまして、乳粥(パーヤーサ)を毎年まいとし献上いたします」
スジャーターのねがいはたされ、毎年ウェーサーカー月の満月まんげつの日にお礼参りをして、乳粥をバニヤン樹の守り神に献上した。
スジャーターは守り神にお礼参りをするに当たって、乳粥の献上のために、いささかの準備じゅんびをした。
あじい、風味ふうみある、滋養じようゆたかな乳を得るために次のような手順てじゅんんだのである。①まず、千頭のうし甘草かんぞうりん放牧ほうぼくする。それらから得た乳を、べつの五百頭の牛にませてそだてる。②この五百頭の牛の乳を、別の二百五十頭の牛に飲ませて育てる。③この二百五十頭の牛の乳を、別の百二十五頭の牛に飲ませて育てる。④この百二十五頭の牛の乳を、別のろく十五頭の牛に飲ませて育てる。⑤この六十五頭の牛の乳を、別の三十二頭の牛に飲ませて育てる。⑥この三十二頭の牛の乳を、別の十六頭の牛に飲ませて育てる。⑦この十六頭の牛の乳を、別の八頭の牛に飲ませて育てる。
そのウェーサーカー月の満月の日、スジャーターは乳粥を献上するためにあさはやきた。乳しぼりしなければならない牛は八頭ある。乳搾りすると、こんなふしぎな出来事できごとを見た。牛の乳房ちぶさしたに乳碗をくと、搾りもしないのに乳が次々つぎつぎにたっぷりあふれてくるのだ。それから、みずから乳粥をこしらえた。
スジャーターが乳粥の調理ちょうりをしていたときは、神々と梵天は彼女かのじょ姿すがたせることなく手伝てつだっていたので、ひたすらふしぎな出来事だとおもっていたのである。調理中ちょうりちゅう下女げじょんで、こうめいじた。
「プンナー、いそいでバニヤン樹のもとへ行って、木の下の守り神のおまいを掃除そうじしておいで」
「かしこまりました、おくさま」と、プンナーはこたえ、すぐさま大急おおいそぎでバニヤン樹のもとへ行った。くと、菩薩が木の下で東へかおけて坐っている。全体が菩薩のからだからはっする光で黄金おうごんかがやいていた。プンナーは深い畏敬いけいねんいだき、こう思った。(バニヤン樹の守り神がりてこられている。乳粥の献上をご自身じしん両手りょうてけとられるみたいだわ)
それで彼女は急いで飛んでかえり、スジャーターに出来事を報告ほうこくした。
「ああ、奥さま、わたしはバニヤン樹の守り神が木の下で冥想して坐っておられるのを見ました。奥さまの献上をご自身の両手で受けとられるために、木から降りてこられています。きょうは奥さま、とっても幸運こううんでございます」
スジャーターはそのらせをきいて、とても幸福こうふくだった。よろこびにあふれて下女とともにおどり、下女にふさわしい着物きもの装飾そうしょくひんあたえた。それから、調理した乳粥を黄金碗にれた。黄金碗はじゅう万金まんきん値打ねうちがあるもので、きれいな白いぬのつつんだ。盛装せいそうを包んでかざり、黄金碗を頭のうえせ、プンナーをつれてバニヤン樹のもとへ行った。
菩薩が木の下で冥想して坐っているのをるやいなや、彼女の心は喜びにみたされ、あふれんばかりであった。みばえがして、もの静かで、からだ全体が、かがやく光をバニヤン樹のまわりにはなっているのだ。彼女はじつのところ、守り神が菩薩だとはらなかった。目にはいった場所ばしょからうやうやしく近づいて行った。それから適当てきとうなところにすわり、頭の上の黄金碗をげおろし、ふたをあけた。
アノーマーがわ岸辺きしべで菩薩が出家したとき、ガティカーラ梵天が提供ていきょうしてくれて、そのままいままでっていた土製どせいはち突如とつじょえた。その鉢を見ることもなく、菩薩は両手をのばして黄金碗の乳粥をけとった。心づくしのつよおもいとおおきな喜びをかんじながら献上しているあいだに、彼女はこうった。
とうとかたよ、この黄金碗の乳粥をどうぞおけとりくださいませ」
それから祈願のことばをはっした。
「わたしの願いが満たされましたように、あなたさまの大望たいぼうもすべて、どうぞ満たされますように」
もう一度お辞儀をしてせきから立ち上たちあがり、数あとずさってきびすかえし、帰宅きたくした。
菩薩もまた、席から立ち上がり、碗をり、ネーランジャー川の岸辺にかった。碗をわきにもって、スッパティッディタ沐浴もくよくじょう水浴みずあびした。沐浴場から出てくると、黄金碗をもち、木の下のすずしい木陰こかげに坐った。まず乳粥を四十よんじゅうきゅうくちけ、それからじっくりかんがえた。(なな週間しゅうかんのあいだ、この四十九口の乳粥が、どうぞわたしのからだをささえてくれますように)そして、はじめた。
食べわってから黄金碗を川にもっていき、こう心にめた。「もし万一まんいち、きょうわたしがブッダになるのなら、どうぞこの黄金碗が上流じょうりゅうながれて行きますように。もし、きょうわたしがブッダにならないのなら、この黄金碗は流れとともに下流かりゅうながされるがままになりますように」そしてかれは黄金碗を川にかべた。黄金碗がみずの上に置かれるやいなや、奇跡きせきのように流れを横切よこぎり、川の中ほどへうごいた。流れにこうして上流へ八腕尺はちわんしゃくやく四㍍)ほど流れ、うずの中へ、龍王りゅうおうカーラのみかへ、としずんでいったのであった。

20話へ続く

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南伝ブッダ年代記

 

Episode 19. THE MEAL OFFERING OF Sujātā

The Five Great Dreams of the Bodhisatta
Having changed his method of practice by avoiding extreme self-mortification (dukkaracariya) and extreme self-indulgence, the Bodhisatta followed the middle path, which enabled him to obtain significant progress in meditation. On the fourteenth waxing day of Vesākha, 588 B.C., when it was approaching dawn time, he dreamed Five Great Dreams—dreams which only a Bodhisatta could dream as a premonition that he was about to attain his goal.
The Five Great Dreams, with their meanings being interpreted by
himself, were as follows:
(1)     He dreamed that he was sleeping on the great earth as his couch, with the Himalayas—the king of mountains—as his pillow; his left hand laid in the Eastern Ocean; his right hand in the Western Ocean; both his legs in the Southern Ocean. This first dream presaged his realising Supreme Enlightenment and becoming a Buddha among humans, devas and brahmās.
(2)     He dreamed that a tiriya grass—a species of grass with reddish stalk about the size of a yoke—emerged from his navel, and it grew up higher and higher until it touched the sky, the open space, many thousands of yojanas above, and it remained there. This second dream presaged his discovery of the Noble Eightfold Path (Ariya Aṭṭhaṅgika Magga)—the Middle Way (Majjhimā Paṭipadā). And it also presaged that
he would be able to teach it to humans and devas.
(3)     He dreamed that hordes of maggots with white bodies and black heads slowly crawled from his legs covering them from the tip of the toes up to the knee-cap. This third dream presaged that a great many people who wore pure white clothes would adore the Buddha and take Great Refuge in Him during His life.
(4)     He dreamed that four kinds of birds with different colours, i.e. blue, golden, red and grey, came from the four quarters. When they alighted, they laid prostrate at his feet and became white. This fourth dream presaged that the four castes—the warrior caste(Khattiya), the brahmin caste (Brāhmaṇa), the merchant caste (Vessa),
and the poor caste (Sudda)—would embrace the teaching of the Buddha; they would become bhikkhus and attain Arahantship.
(5)     He dreamed that he was walking to and fro, back and forth, on a huge mountain of excreta without getting besmeared. This fifth dream presaged that although the Perfect One would obtain the requisites of robes, alms food, abode, and medicine, yet He would use them without greed or delusion or clinging, perceiving their dangers and understanding their purpose.

The Offering of Milk-Rice by Sujātā
When the day-break came, the Bodhisatta cleansed his body, after which he went to a goatherds’ banyan tree (Pāḷi: Ajapāla nigrodha; Latin: Ficus bengalensis). He sat down at the base of the tree waiting for the time to go on alms-round; his body was radiating light so brilliantly that the whole banyan tree was illumined by his radiance. In the market town of Senāni (Senānigama), there lived a generous
lady named Sujātā, the daughter of Senānī—a rich man of the town. About twenty years ago, she went to the banyan tree and prayed: “O guardian deva, if I am married into a rich family of the same caste and am bestowed a son, I will pay homage to you with the offering of milk-rice (pāyāsa) every year.” As Sujātā’s prayer was fulfilled, she paid homage and offered milk-rice to the guardian deva of the banyan tree on the full-moon day of Vesākha every year. When it was time to pay homage to the guardian deva, Sujātā made some preparations for the offering of milk-rice. To obtain the thick, savoury and nutritious milk, she took the following steps: (1) she first let one thousand cows graze in a liquorice wood; the milk obtained from the cows would be fed to another five hundred cows; (2) the milk produced by these five hundred cows would be fed to another two hundred and fifty cows; (3) the milk produced by these two hundred and fifty cows would be fed to another one hundred and twenty-five
cows; (4) the milk produced by these one hundred and twenty-five cows would be fed to another sixty-four cows; (5) the milk produced by these sixty-four cows would be fed to another thirty-two cows; (6) the milk produced by these thirty-two cows would be fed to another sixteen cows; (7) the milk produced by these sixteen cows would then be finally fed to another eight cows. On that full-moon day of Vesākha, Sujātā arose early in the morning to make the sacrificial offering of milk-rice. She had the eight cows milked. When she did it, she saw such a wonderful event that as the
milk bowl was placed closely under the udder, the milk flowed down continuously in profusion without being drawn. Then, she herself made an effort to cook the milk-rice. When she cooked the milk-rice, devas and brahmās gave their help without being seen by her—she only perceived them as wonders. While she was cooking, she called her maid servant and ordered her: “Puṇṇā, please go quickly and clean up the base of the banyan tree, the residence of the guardian deva!” “Very well, my lady,” replied Puṇṇā, who immediately made haste and went to the banyan tree. When she arrived, she saw the Bodhisatta sitting at the foot of the tree facing east, the whole tree shining in golden yellow with the radiance from the Bodhisatta’s body. She was
deeply awed, thinking: “The guardian deva of the banyan tree has come down; it seems he is sitting there to receive the offering with his own hands.” Then, she hurried back home and reported the matter to Sujātā, saying: “O my lady, I saw the guardian deva of the banyan tree being seated under the tree meditating. He has come down from the tree to receive your offering by his own hands. You must be very lucky today.” Sujātā was very happy to hear the news; she danced joyfully with her
maid servant and bestowed on her all the suitable apparel and ornaments. She then put the cooked milk-rice in a golden bowl worth one lakh and wrapped them up with a piece of clean white cloth. Having adorned herself in full attire and carrying the golden bowl on her head, she went to the banyan tree with Puṇṇā. On seeing the
meditating Bodhisatta—good-looking, serene, with his whole body radiating brilliant light around the banyan tree—her heart was inundated with joy. She did not know that her guardian deva was actually the Bodhisatta. She approached him in a respectful manner from where she saw him. Then she sat down in a suitable place, lowered the golden bowl from her head and opened it. The earthen alms-bowl—offered by Brahmā Ghaṭikāra at the time of the Bodhisatta’s renunciation on the bank of the Anomā River and remained with him so far—suddenly disappeared. Not seeing his alms-bowl, the Bodhisatta stretched out his hands to receive the golden bowl of
milk-rice. While offering it with great devotion and happiness, she said: “Venerable sir, may you accept the milk-rice together with this golden bowl.” Then, she uttered words of wish: “As my wishes had been fulfilled, may all your aspirations be fulfilled, too.” Once again she paid respect to him, stood up from her seat, walked backward a few steps, turned around and went home. The Bodhisatta also rose from his seat, took the bowl and proceeded to the bank of the Nerañjarā River. He kept the bowl aside and took a bath in the Suppatiṭṭhita Ford. Having come out from the ford, he took
the golden bowl and sat under the cool shade of a tree. He first made the milk-rice into forty-nine morsels and contemplated: “May these forty-nine morsels of milk-rice serve as nutrients to sustain my body for the entire seven weeks.” Then, he started to eat. After taking his food, he took the golden bowl to the river and made a resolution: “If I were to attain Buddhahood today, may this golden bowl float upstream; if I would not attain Buddhahood today, let it float downstream with the current.” He then let the golden bowl float in the Nerañjarā River. Miraculously, as soon as the golden bowl was put on the water, it cut across the currents and moved towards the
middle of the river; it floated upstream—against the currents—for about eight cubits and sank in a whirlpool to the abode of Kāḷa, the nāga king.

 

To be continued

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南伝ブッダ年代記

アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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