寺子屋スジャータ

41話 嘘つき孕み女 チンチャマーナヴィカー

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第4部 ブッダをめぐる人々

第2章 さまざまな女たち

41話  嘘つき孕み女 チンチャマーナヴィカー

南伝ブッダ年代記

 

サーリプッタ尊者の共住弟子である五百人の比丘やたくさんの神々、人びとを、サンカッサの街で、四聖諦を理解させることによって解脱させた後、世尊は祇園(ジェータヴァナ)精舎にお住まいになるために、サーヴァッティ(舎衛城)へ向かわれた。

世尊が、所属するカーストや肌の色、民族、男女の差別なく、すべての人びとに、ほんとうの法(ダンマ)を広めることによる伝道布教を始められて以来、仏弟子の数は急速にふえた。王族の青年男女、王妃、バラモン、商人、農民、家庭の主婦、不可触ふかしょく賤民せんみん、召使いの下女、さらに遊女まで比丘(ビック)や比丘尼(ビックニー)の僧団に入り、その一方で多くは在家弟子の篤信者とくしんしゃとなった。世尊が出かけられると、どこにでも、社会の各層から、人びとの大きな群れを引き寄せた。そして世尊が法(ダンマ)を説かれるときはいつでも、さらにさらにと、人びとが群れをなしてやってきたのである。

世尊と仏弟子たちによって示される清らかな暮らしぶりは、僧団(サンガ)に信望と名声をもたらした。その結果、多くの人びとが、世尊の聖なる僧団への布施を、いっそう熱心にやるようになった。その反対に、外道げどう(異教徒)の勢力は衰えた。かれらへの供物くもつは激減し、ほとんどなくなる寸前にまでなってしまった。

この情況は遍歴行者やその他の外道たちの心中に、怨嗟えんさ羨望せんぼうをかきたてた。かれらは人びとに、いろんなやりかたで、供物を持ってくるように、と説いてみた。たとえば四つ辻よつつじで、「おお、善男善女のみなさん、あの比丘(ビック)ゴータマだけが覚者に達したのではないのです。われらもまた、みなさん、覚者に達しておるのだ、とぜひ知ってもらいたい! 比丘ゴータマに布施されるのと同じく、われらに布施すると功徳があり、われらに供物を持ってくれば、大きな功徳が得られるのですぞ。われらは謹んで、みなさんに供物をもってくるよう、お誘いいたします」と呼びかけたのであった。

そんなふうに訴えても何の効きめもない、とわかった。かれらはひそかに集まり、策を練った。世尊を誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうすることで世尊の善い評判を傷つけ、人びとが、世尊と仏弟子たちの聖なる僧団に、敬意と尊重をなくすことによって、もはや布施しなくなるようにさせよう、という陰謀だった。

ちょうどそのころサーヴァッティに、チンチャマーナヴィカーという名の女性の遍歴行者(パリッバージカー)が住んでいた。彼女がそう呼ばれていたのは、たっぷり水気を含んだタマリンド樹(訳注:春に淡黄色の花が集まって咲くマメ科の常緑高木で、実はソラマメに似た形で、果肉は汁が多くて甘酸っぱく、香料、薬用として用いられる)の生まれだったからである。美貌に恵まれ、天女のように優雅で、全身から光線を放っていた。

かれらはわるだくみの策を練り、話し合ってはかりごとの細かい手はずをととのえ、それぞれの分担を割り振った。かれら全員、チンチャマーナヴィカーを邪悪で身勝手なたくらみを果たすための道具として使うことに、同意した。その陰謀の計画を全員が承諾したとき、かれらは忠実な弟子であるチンチャマーナヴィカーを、かれらの僧院に呼んだ。

チンチャマーナヴィカーは僧院に、すぐやってきた。着くやいなや、かれらに近寄り、三度、礼拝したのだが、完全に無視された。そんな反応に彼女はショックを受け、とまどった。自分がどんな過ちを犯したのか、知りたくて、こうきいた。

「みなさま、わたしは三度、礼拝しましたが、何もおっしゃってくださらないのですね。わたしが、どんな無礼をはたらいたせいで、このように無視され、みなさまが沈黙していらっしゃるのか? ここに来るな、ということでございましょうか?」

この質問を彼女は三度くりかえしたが、かれらはひと言も答えなかった。とうとう彼女はれて、叫びだした。

「みなさま、わたしの質問にお答えください! わたしに、どんな不都合がある、と思っていらっしゃるのか?」

そのとき、かれら外道たちの一人が、深いため息をつき、低い声で、こういった。

「ねえさん、おまえさんはわれらが、比丘ゴータマによって深刻な被害に直面していることを知らないのかい? あいつは、われらから真っ当な収入と評判を奪ったのだ」

そう言われて、チンチャマーナヴィカーは「みなさま、わたしはそのことは何も存じません。でも、この件で何かわたしにできることがあるのでございましょうか?」と、応じた。

「チンチャマーナヴィカーねえさん、もしおまえさんが、われらのことをほんとうに心配してくれるのなら、おまえさんの美貌の魅力を使って、比丘ゴータマを公衆の面前でおとしめ、あいつの名声、名誉、布施に終止符を打てるかもしれんのだぞ」

チンチャマーナヴィカーは、この悪だくみに応じることにした。

「それはよろしゅうございますね、みなさま。わたしに、お任せくださいませ! この件は、ちゃんとやってご覧にいれます! ご心配なく!」と、け合って、彼女は僧院から立ち去った。

彼女はまさにその日、悪がしこい策略に着手した。毎朝、祇園精舎から、たくさんの人びとが世尊の説法をきいた後、帰宅することを彼女は知った。美しく念入りに化粧して、目のさめるような真っ赤な服に身をつつみ、花と香料を手にもって、祇園精舎へ向かった。その道すがら、彼女の魅力にひかれて声をかけた者がいた。

「おお、ねえさん、こんな時間に、どこへ行くんだい?」

「わたしがどこへ行くのかを知って、何の役に立つんですか?」と、彼女はさらりと受け流し、実際には祇園精舎を通りすぎて、その近くの外道の宿泊所で、その夜を過ごした。

翌朝、彼女はサーヴァッティの街に戻って行ったのだが、街から祇園精舎へ、世尊への早朝礼拝に向かう篤信者とくしんじゃの群れに対して自分の姿をさらし、あたかも祇園精舎で一夜を過ごしたかのように見せかけたのである。そしてかれらが「どこで夜を過ごしたんですか?」と、きくと、その前と同じく「わたしが昨夜、どこで寝たのか知って、何の役に立つんですか?」と、しらばっくれた。かくて彼女のふるまいは、人びとに疑惑の思いをかきたてたのだった。

その一か月半後、くりかえし同じようなふるまいをしてから、彼女はやりくちを変え、在家の篤信者とくしんじゃからきかれるたびに、このように答えた。

「わたしは比丘ゴータマとともに、祇園精舎の香房(訳注:世尊の居室)で一夜を過ごしました」

これをきいて人びとは疑念をもちはじめ、彼女が言っているのはほんとうかどうか、好奇心を抱いた。

三、四か月後、彼女は自分のおなかに丸めた布を入れて、妊娠したふりをした。赤い服を着て、比丘ゴータマが妊娠させたのだ、と人びとに言い始めた。彼女のでたらめを信じだした者もいた。

八、九か月後になってチンチャマーナヴィカーは、お椀状にぽっこり丸くした木をおなかにくくりつけ、赤い服をまとった。彼女はまた、自分の手や足を動物の骨でたたいてふくれさせ、出産を控えてやつれた妊婦そのものに見せかけた。

それからある夜、世尊が御座に坐って、大会衆に説法されていたとき、彼女は世尊の正面で立ち上がり、こう不正な告発をしたのだ。

「偉大な比丘よ、あなたはみなさまに、とてもおじょうずに説いていらっしゃる! でも、わたしはといえば、あなたさまと親しくして、この赤ちゃんを身ごもったのです。わたしは妊娠してお産が近いのに、あなたさまは、わたしのお産には、なんにもしてくださっていない。あなたさまは、お楽しみになることだけを、ご存じなんですね!」

世尊はしばし説法をやめ、彼女に、このように言った。

「そなたと、そしてわたしだけが、いまそなたが言ったことが本当か嘘か、知っています」

すると、チンチャマーナヴィカーは、

「はい、偉大な比丘よ、そのとおりです。どうしてほかの人たちが、あなたさまとわたしだけが知っていることを知れるでしょうか?」と、切り返したのである。

ちょうどそのとき帝釈天(サッカ)のエメラルド玉座(訳注:深緑色の透きとおった翠玉座すいぎょくざ)が熱くなり、チンチャマーナヴィカーが如来(タターガタ)を誹謗中傷していることを帝釈天が察知した。「この問題は、わたしが解決しなければならない」と、考えて、四天子とともに祇園精舎へ降下してきた。それから四天子は、ちいさなネズミに変身した。彼女の衣装の下にもぐりこみ、おなかにお椀状の木をくくりつけているひもを噛み切った。そして、風が吹いて、彼女の衣装をめくり上げると、お椀状の木が彼女のつま先の真上に落下し、つま先をひどく切った。

会衆の多くが、彼女のごまかしの嘘に気づいた。怒りだし、こう叫びだした。

「おお、腹黒い女め! 嘘つき! 恥を知れ! われらが尊師にインチキな糾弾をするとは、なんとまあ大それた奴なんだ!」

かれらは彼女をののしって、頭にツバを吐きかけ、泥土や棒切れを振りかざし、精舎の境内から追い払った。可能な限り速く走って、彼女が世尊の眼の届かぬ場所まで行くと、大地が割れ、地獄の炎が彼女を呑みこみ、大無間地獄の底にまで堕ちて行ったのである。

42話へ続く

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南伝ブッダ年代記

 

41  CI¥CAMâöAVIKâ, THE CALUMNIATRESS

 

 

The Blessed One—after emancipating the five hundred disciples of the Venerable Sàriputta, the many devas and man through the realisation of the Four Noble Truths in the City of Saïkassa—proceeded to Sàvatthi to take residence in the Jetavana Monastery.

Ever since the Blessed One started His missionary by spreading the true Dhamma to all people without discrimination to caste, colour, race or sex, the number of His disciples increased rapidly. Many princes, princesses, queens, brahmins, merchants, farmers, housewives, untouchables, maidservants, and even courtesans joined the Order of Bhikkhus and the Order of Bhikkhunãs, while many others became pious lay disciples. Wherever the Blessed One went, He drew large crowds of people from every section of society. And whenever He preached the Dhamma, more and more people came flocking to Him.

The life of purity shown by the Blessed One and His disciples had brought honour and fame to the Saÿgha. As a result, many people became more enthusiastic to give charity to the Holy Order of the Blessed One. On the contrary, the power of the sectarians waned; offerings made to them dwindled to a vanishing point.

This situation had aroused resentment and envy in the heart of wandering ascetics and other sectarians. They made attempts to persuade people to make offerings to them in many ways, such as making propaganda at road junctions, saying: “O good people…this bhikkhu Gotama is not the only one who has attained Buddhahood. Let yourselves know that we, too, have attained Buddhahood! Just as you may gain merit by making offering to the bhikkhu Gotama, even so can you gain great merit by making offerings to us as well. We hospitably invite you to make offerings to us.”

Finding that their appeals were of no effect, they then assembled secretly to make a plan that would harm the good reputation of the Blessed One by calumniating Him so that people would make no more offerings to Him and His Holy Order through lack of respect and esteem.

At that time, there lived a female wandering ascetic (paribbàjikà) in Sàvatthi, named Ci¤camàõavikà. She was so called because she was born of a moisture-laden tamarind tree. She was endowed with beauty and was gracious like a nymph; rays of light emitted from her whole body.

In the discussion, the sectarian members worked out the details of the plot and assign various jobs to appropriate individuals. They all agreed to employ Ci¤camàõavikà as a tool to achieve their wicked and selfish aims. When the scheme was approved by all members, they called Ci¤camàõavikà, their devoted disciple, to their monastery.

Ci¤camàõavikà swiftly proceeded to the sectarian monastery. As soon as she arrived, she approached and paid respect to them three times, but she was totally ignored by the sectarians. She was shocked and puzzled by their response. Anxious to know what mistake she had committed, she asked: “Good sirs, I pay obeisance to you three times but you do not say anything. What offence have I done to you that you have neglected me and kept silence? Do you not ask me to come here?” She repeated her question three times, but they did not reply any single word. Finally, she became irritated and cried out: “Sirs, I request you to answer my question! What kind of offence do you find in me?”

Then, one of the sectarian brothers, having made a deep sigh, replied with a deep voice: “Sister, don’t you know that we are facing a serious harm made by the bhikkhu Gotama? He has deprived us of our legitimate gain and honour.”

Upon this, Ci¤camàõavikà said: “Sir, I know nothing about this. But is there anything I can do for you to settle this matter?”

Then they replied: “Sister Ci¤camàõavikà, if you really care for our welfare, you might use your personal charm as a tool to disgrace this bhikkhu Gotama in the midst of the public, and cease his fame, honours and gifts.”

Ci¤camàõavikà agreed to comply with the evil task, saying: “Very well, good sirs. Trust me! I will settle this matter! Do not worry!” She then left the sectarian monastery.

She started her wily tactics on that very day. She knew that every evening a great many people would be going home from the Jetavana Monastery after listening to the Blessed One’s discourse. Having beautified herself and wearing a bright red dress, she made her way towards the Jetavana Monastery, carrying flowers and perfumes in her hands. On her way, people were attracted by her personal charm; they would ask: “O sister, where are you going at this hour?” And she would reply: “What is the use of knowing where I am going?” She actually passed by the Jetavana Monastery and spent the night in the heretics’ quarters nearby.

The next morning, she would return to the City of Sàvatthi and let herself be seen—as if she had spent the night in the Jetavana Monastery—by the crowd of devotees who were going from the city towards the Jetavana Monastery to pay an early homage to the Blessed One. And when they asked: “Where did you spend the night?” she would give a similar answer: “What is the use of knowing where I was sleeping last night?” Thus, her behaviour aroused people’s suspicion.

After one and a half months of the same routine, she changed her tactics by replying: “I spent the night with the bhikkhu Gotama in his Fragrant Chamber in the Jetavana Monastery,” whenever the lay devotees enquired her. Hearing her reply, people started to have misgivings, wondering whether she might be speaking the truth. Some three or four months later, she simulated pregnancy by wrapping her belly with some cloth. Dressing herself in red, she started telling people that she conceived a child by the bhikkhu Gotama. Some people began to believe her deceit. Then, after eight or nine months, Ci¤camàõavikà tied a disc of wood on her belly and wore a red garment. She also beat her hands and feet with an animal bone to make them swollen and to give the perfect picture of a fatigued expectant mother.

Then one evening, when the Blessed One was seated on the throne and was preaching the Dhamma to a vast congregation, she stood in front of Him and charged Him with a false accusation: “Great Bhikkhu, so sweet do you preach to others! As for me, I have conceived this baby due to association with You. I am in this advanced stage of pregnancy, and yet You have provided nothing for my confinement. You only know how to enjoy Yourself!”

The Blessed One stopped preaching for a while and said to her: “Sister, only you and I know whether what you have just said is true or false.”

And Ci¤camàõavikà retorted: “Yes, Great Bhikkhu, You are right, how can others know what only You and I know?”

At that moment, the emerald throne of Sakka was heated up, and he perceived that Ci¤camàõavikà was calumniating the Tathàgata. Thinking, “I must settle this matter,” he came down to the Jetavana Monastery with four devas who then transformed themselves into four tiny mice. Then, they went under the woman’s clothes, and with one bite they cut off the strings that tied the wooden disc to her belly. And as the wind blew off her clothes upwards, the wooden disc dropped right on her toes, cutting them severely.

The multitude became aware of her deception. They became angry and cried out: “O wicked woman! A liar! Shame on you! How dare you falsely accuse our Noble Teacher!” They condemned her and spat on her head, brandishing clods of earth and sticks, and drove her out of the monastery compound. She ran as fast as she could, and at the place where she was out of the Blessed One’s sight, the earth cracked and the flame of hell fire swallowed her into the bottom of the Great Hell (Mahà Avãci).

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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