寺子屋スジャータ

57話 病める比丘への慈悲 ・・・・ プーティガッタ・ティッサ

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第5部 さまざまな「悪」

第3章 弱き者へ―病の比丘・嘆きの母

57話  病める比丘への慈悲 ・・・・ プーティガッタ・ティッサ

南伝ブッダ年代記

 

かつてサーヴァッティ(舎衛城)の良家の若い男でテッィサという者がいて、世尊の説法を聴いて、帰依した。その後、修行に励み、世尊のもとで戒を受け、出家した。

ティッサ尊者が比丘の僧団に入ってからは世尊から冥想の課題を得て、それに従って冥想実践に精進した。

しばらくたって、かれは皮膚病にかかった。芥子粒ぐらいの吹き出物が全身にできた。しだいにそれらが大きなれ物になっていった。そのような腫れ物が次々つぶれ、上衣も下衣も、血とみでべとべとになってしまった。そして全身が臭くなってしまったのである。このため、かれは「プーティガッタ・ティッサ(臭いからだ(プーティガッタ)のティッサ)」として知られた。看護を受けるのがふさわしいのだが、同輩の比丘たちは世話することもできず、かれを放置した。誰に助けられるでもなく、かれはベッドでひどく苦しみながら、寝ているほかなかった。

その当時、世尊は早朝、無量の慈悲の至福に到達され、世界を仏眼で探って見渡された。その視野の中に、プーティガッタ・ティッサ尊者の痛ましい姿が映った。かれは全身が臭くなったため同輩の比丘たちに見捨てられているのだ。世尊はまた、かれの心が聖人に到達できるほど成熟していることも、ご覧になられた。

世尊は、ティッサが寝ている場所に近い火小屋に向かわれた。鉢を洗って水を満たし、炉の上に置いて、湯を沸かされた。それが沸騰すると、世尊はティッサが寝ている部屋に入って行かれ、ベッドの端を持ち上げられた。世尊がみずからティッサを世話されているのを知って、そのときになって結局、同輩の比丘たちがかれのまわりに集まり、あわてて世話を申し出た。世尊に指示され、比丘たちはティッサを火小屋の近くへ運び、その一方で他の比丘たちが湯など必要なものを用意した。

それからすぐに、世尊は手ずから温かい湯でティッサを洗い、清められた。かれが沐浴もくよくしているあいだ、かれの上衣と下衣は洗われ、干された。かれがきれいになったあと、心身とも爽快になり、落ちつき、ベッドに寝たままではあったが、心を一点に集中する状態(一境性いっきょうしょう)が進んだ。

世尊は、ベッドの頭部側に立ったまま、このようにかれに説かれた。

「比丘よ、この身は、意識がなくなったとき、役に立たない棒切れのように、大地に横たわるであろう」

(訳注: “ああ、やがてこの身は 大地に横たわるであろう。意識がなくなり、捨てられる。

役に立たない棒切れのように”  ・・・ ダンマパダ41)

法話の終わりに、プーティガッタ・ティッサ尊者は、無碍解智(パティサンビダー・ニャーナ)を達成して、阿羅漢に到達したが、まもなく亡くなった。

かくて、世尊はみずから病者の世話をされて、高貴な模範を示された。そのとき世尊は、次のような記憶すべき忘れがたいことばで弟子たちに教えさとされた。

「病める者に尽くす者は、わたし(ブッダ)に尽くす者なのだ」

 

58話へ続く

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南伝ブッダ年代記

Episode 57  MINISTERING TO THE SICK

Once, there was a young man of a good family in Sāvatthi named Tissa, who was established in faith after listening to the Dhamma preached by the Blessed One. Thereafter, he sought the going forth and the higher ordination under the Blessed One.
After the Venerable Tissa joined the Order of Bhikkhus, he took a subject of meditation from the Blessed One and subsequently practised meditation diligently. Some time later, he was afflicted with a skin disease. Boils as big as mustard seeds appeared all over his body; they gradually developed into big sores. When these sores burst, his upper and lower robes became sticky and was stained with pus and blood, and his whole body was stinking. For this reason, he was known as “Pūtigatta Tissa”—Tissa with a stinking body. Although he deserved nursing, his fellow bhikkhus were unable to take care of him and abandoned him. He found himself helpless; he could only lie down on his bed in great agony.
Then, early in the morning when the Blessed One was in the attainment of the bliss of Boundless Compassion, he surveyed the world with His Buddha Eye. There appeared in His vision the sorrowful state of the Venerable Pūtigatta Tissa, who had been abandoned by his fellow bhikkhus due to his stinking body. The Blessed One also saw that his mind was mature for attaining sainthood.
The Blessed One proceeded to the fire-shed close to the place where Tissa was staying. He washed a pot, filled it with water, placed it on the fire-place and boiled it. Then when the water had been boiled, the Blessed One went into Tissa’s room and lifted the edge of the couch. After knowing that the Blessed One was attending to Tissa personally, only then did the resident bhikkhus gather round him hurriedly and
offered their service. As instructed by the Blessed One, the bhikkhus carried Tissa near the fire-shed while some other bhikkhus prepared warm water and other necessities.
Thereupon, with His own hand the Blessed One washed and bathed Tissa with warm water. While he was being bathed, his upper and lower robes were washed and dried. After he was cleaned up, he became fresh and felt comfortable in body and mind, and while still lying down on bed he soon developed one-pointedness of mind.
The Blessed One, standing at the head of the couch, said to him:
“Bhikkhu, this body, when devoid of life, would be useless just as a piece of wood laying on the ground.”
At the end of the discourse, the Venerable Pūtigatta Tissa attained Arahantship achieving Analytical Knowledge (Paṭisambhidā-Ñāṇa). But soon, he passed away.
Thus, the Blessed One set a noble example by attending on the sick Himself. He then gave an exhortation to His disciples for their neglect with these memorable words: “He who ministers unto the sick ministers unto Me.”

 

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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