第3回スジャータ・フェスタでのスマナサーラ長老のお話
(これは、2023年7月9日に開催した第3回スジャータ・フェスタでのスマナサーラ長老のご法話です)
今日は、私が話す羽目になるとは全然思っていなかったですからね。何をしゃべろうかと前もって考えることができませんでした。一応、みなさまの元気な活動レポートを見て、安心しました。もう、私は年寄りとしての隠居活動できるかなあと思いました。本当にまじめな話、みなさま本当に真剣にブッダの教えに対して共感をもって、仲間にも広げようという気持ちがね、大変素晴らしいことです。
(注1: 企画担当者たちの1年間の活動報告の直後でした。)
(注2: と、前置きをされたうえで、長老のお話が始まりました。)
神秘的なことが好きな日本人
日本のような、スリランカなどの仏教国とは文化の違う社会で、初期仏教を教えるのが難しいところは結構、多々あります。理由は、日本では、仏教活動や新興宗教というものには一般的にちょっとネガティブイメージがあるからです。それは、どうしようもありません。私は日本に来てから結構長い時間経ってますけど、来た時は新興宗教のブームでした。
何故みんな新興宗教作るのかというと、理由は二つですね。
そのうちの一つは、神秘的な、迷信的な、超能力的なことに対して、すごい欲があるのです。今日はこの神秘的なことについて話してみたいと思います。
科学的にも経済的にも発展している日本なのに、南アジアより、迷信世界の神秘的なことを信じることがより進んでいる、それは変だなあと思います。私は迷信まがいは、南アジアのスリランカ・インド・タイ・ミャンマーなどの世界ではないかと思っていたのです。でも迷信世界を知っている私たちから見れば、日本では迷信世界の神秘性があまりにも幼稚で何もわかっていないということもあったのですね。
昔、一人でとても笑ったことがあったのです。駒澤大学に座禅堂がありまして、結構格好いい建物でした。その前に若い一年生がテーブルを持ってきて置き、タバコを一本立てて、一生懸命、自分の念力でこれを倒せるのかとがんばっていたのです。私と仲良く交流があった一年生たちは、私が来たらどうしようと思って、サッサと逃げてしまいました。まあ、結局倒れなかったのですね。ちょっと鼻息でも吹いたらタバコは倒れるのにね。そんなに苦労して念力を入れなくてもよろしいと思ったんです。神秘的というのはこんな程度の認識なのです。
ネタのある神秘とネタのない神秘
南アジアの世界では、人々はそんなアホみたいなことは考えていません。やったらすぐそ
のネタ情報を他の人がバラすのです。
ある、神がかりでみんなに占ってあげるという女性がテレビ局に呼ばれ、あなたに何故特別な能力があるのかと聞いたら、なんとかかんとか、こういうことがあるんだよと説明をする。なかなか、信じがたいと思っているところ、「じゃあ証拠を出しましょう」といって、自分で皮をむいたヤシの実を一つ手で取って、掌の上に置いて、ジワジワジワするとヤシの実が上がっていったのです。
すると、そこに参加していた人が、「じゃあ私もやってみていいですか」と同じことに挑戦したのです。この人は無神論者で、何も信じない人なのです。その人もヤシの実を取って、掌に取ったらジワジワと上がるんです。「なるほど、私は信じてなかったんですが、私にも神秘能力あるみたいです。」とユーモアたっぷりに言って、科学的にその現象を説明したのです。それからその女性は、全国的にたいへんからかわれる羽目になったのです。
こういった神秘的なことをやって人の金を取り上げる人々はどこにでもいるのですが、すぐそのネタ情報を流して、それをバラしてしまいますね。日本ではそこまではしないですね。
しかし、何とも言えない力もまた、あることはあるんです。それはいろいろな方法でこちらも
ネタばらししようしようと思っていても、なかなかできないところがあります。
例えば、仏歯寺に行って、いろいろ祈祷とか祈りをしたら、まあほとんど60、70%はうまくいくのです。
私も、とても体調が悪くて、いろいろ精神的にものすごくひどく落ち込んで悩んでるときは、サッと仏歯寺に行って、ちょっと花でも差し上げるのですね。そうした時はあらかじめ連絡もせ
ずに行くのです。大寺院ですから。なのに、そんな時に限って、すでに仏歯寺の玄関のところから、「ああ、お坊さん、待ってましたよ」という風に何か感じるのです。私は、「お前たちはなんで私を待っているのか」と思うのです。しかし、帰るときは落ち込んで悩んでいたことも忘れ、とても気分爽快になるのです。毎日いろんな人が来るところでは、やっぱりなんかそういう風な、何か力があることはありますね。そういうネタばらしできない力も一応あります。
心のはたらきは科学的
私は、日本の方々が神秘好きなのは、やめたほうがいいと思うのです。
大学の時でも神秘的な事柄には、反対したり、異論立てたり、議論したり、大騒ぎをした覚えがあります。人間に理解できない力があるかもしれませんが、それにもまた科学的なところがあるのです。心の働きについてもいろいろ科学的な働きがあるのです。例えば、植物とコミュニケーションが取れる。これは神秘的なことではないのです。植物も命ですし、自分で本気で「かわいいな~」とか、「がんばってるな~」と植物に対して思えば、向こうもそれなりに反応します。植物にできる大きい反応というのは、かっこよく美しく元気で成長することだけですがね。野菜を作るときでも、育てる人が慈しみの気持ちで、「かわいいですね~」、「ああ、がんばってますね~」と思うと、野菜は本当においしくなってくれるのですよ。
ところが、そういう気持ちで困るところもあります。私の部屋にいるゴキブリたちが、私のことを仲間だと思っているんです。 それで昨日は、パソコンのところに来て、ずーっと私のほうを見ているのです。いきなり私が見たら、ゴキブリが調子に乗って、自分の存在感をアピールするのですね。「私もいますよー」とか、「どう、元気ですかあなたは?」という、自分と対等で私のことを見る。
ゴキブリの話を持ってきたのは、ゴキブリも生命なのです。生命として、対等でいるのです。私はゴキブリたちを生命として見ているのだから、あの連中は私のことを仲間だと思うのです。私は「仲間じゃないよ、敵だよ」と言ってはみるんだけど、あんまり気にしないみたいですね。
本当の神秘性は心のつながり、慈しみ、やさしさ、平等
我々にとって心の繋がりほど神秘的なことはありません。慈しみで、優しさで、人と繋がるとものすごい力になります。究極的にいえば、心の中で、相手が自分と同じ生命だと見るのです。相手は年寄り、年下、若者、こどもとか、その区別もよくありません。その区別を外していくと、我々の理解能力も増えます。だいたいすぐ、「あ、この人は女性だ」、「この人は男性だ」、「この人は年寄りだ」という風に、すぐ何かサンニャー(想 saññā)が入ります。それからそのサンニャーをベースにして相手とコミュニケーションを取ります。例えば、私が誰かに対して「この人は相当年寄りだなー」と思って自分がバイアスを作っても、本人がそのバイアスを持ってないとしましょう。そうするとそのコミュニケーションがうまくいかないのです。みなさまにもそれを理解してほしいところです。男性・女性で見るのでなく、年寄り・年下で見るのではなく、そのような何か衣装かぶってるのだけど、中身は生命ですよと。生命としてみんな水のように同じですよと。我々がかぶっているもの、それは衣装みたいなものなのです。衣装で人を確認して衣装としゃべると、意味がないでしょう。 だから、相手とコミュニケーションを取るときには、この人の顔を見るのではなくて、その人の心を見るのです。そうやって、心と心を繋げていき、大きな力を発揮するのです。
迷信を砕き、科学的に論理的に理性的に、仏法僧の偉大なる力をいただく
仏教は迷信ではなく、とても仲良く優しく互いに労わり合う慈しみの世界だと理解すると、みんなが宗教から求める神秘的なところは何のことなく得られます。安らぎが得られます。病気にかかっても早く治ります。そんなのは大した事ではないのです。仏法僧と自分の心を繋いだら、もう、すぐ簡単にわかります。「これは自分で我慢する病気だ」とか、「これはなんかちょっと助けてもらったほうがいいのではないか」とか、そういうことがわかります。
私も今ひどく体が弱い状態ですが、全然気にしないですね。ちょっとしたことで歩いてもめまいがして倒れそうになるのですけど、用事があるときは何のこともないのです。 死ぬときは死ぬんだからっていう感じで、へっちゃらでいるのです。
このまえ土曜日に講演会もあって、ずっと徹夜していたのですね。講演内容がむずかしいからではなくて、仕事を怠けてできていなくて、朝1時くらいからスライドを書きましたからね。終わると朝でした。そういうことでクタクタ疲れていたのですが、何のことなく講演をやりました。徹夜したことも忘れていたのです。だから、努力しなくてはいけない時は努力できる。そのあとで休めばいいだけです。
このように、仏法僧にはものすごく偉大なる力があります。科学的に理性的に論理的にその力をいただく方法を、テーラワーダ仏教は教えたいのです。そのために、まず迷信は砕くんです。もう一かけらも残らないように壊して、純理論と科学的なところを持ってくるのです。
そういうことで、日本の方々は、テーラワーダ仏教を、新興宗教、新興宗教と言いますから、それはちょっと困るなと思います。しかし、そうでなく、ただ明るく普通な生き方であると、なんか料理教室の仲間のような感じで、ごく普通な具体的な集まりだと。子育てどうしようかと言ったら、ブッダの言葉のなかでいっぱいアドバイスがありますから、それを専門的に聴く会ですよと。社会問題、人間関係問題となったら、ブッダのアドバイスがありますから、それを専門的に聴く会ですと、という感じでがんばっていただければありがたいと思います。
みなさまの元気な活動は、本当に正直に素直に感動いたしました。それから、この活動は
続けてやるべきなので、どんどん若い方々も参加してほしいと思います。はい、終了です。
編集 : 古田 瑞穂 藤本 竜子