ナンディヴィサーラのおはなし(ジャータカ 第28話)
昔々のお話です。
あるところに、ひとりの農夫がいました。
ある日、農夫が歩いていると、たまたま、なにかのお祭りの準備をしているところに通りかかりました。そこでは仔牛がいけにえとして捧げられようとしていました。
農夫はこの仔牛をひと目見て、そのまま放っておくことができなくなりました。そこで、そこにいた人々に頼んで、その仔牛をゆずってもらいました。
農夫は、仔牛を自分の家に連れて帰りました。そして、「ナンディヴィサーラ」と名前をつけて、ミルクがゆややわらかいフスマなどの、おいしくて栄養のたっぷり入ったごはんを食べさせて、育てました。
ナンディヴィサーラはやさしくてかしこい牛でした。近所の子どもたちは毎日やって来て、ナンディヴィサーラと遊びたがりました。ナンディヴィサーラは、子どもたちと遊んだり、農夫の仕事のお手伝いをしたりしながら、すくすくと大きくなりました。
若者になったナンディヴィサーラは、とても大きなたくましい雄牛になりました。からだには力がみなぎっていました。
ある日、ナンディヴィサーラはこう考えました。
「この農夫のお父さんは、ぼくを苦労して育ててくれました。おかげでこんなに力のある牛になりました。ぼくのこの力で、このお父さんが豊かになったらいいなあ。どうしたら、お父さんに楽をさせてあげられるだろう。」
ある計画を思いついたナンディヴィサーラは、農夫にこんな話をしました。
「お父さん、ぼくはインド中でもおそらく一番力持ちだと思いますよ。ここの街には、たくさんの牛を持っている大金持ちがいますよね。その人に、『私の雄牛は百台の荷車をつないでもひいて見せますよ。』と言ってみてください。その人が話にのってきたら、『金貨千枚を賭けたっていい』と言ってください。」
農夫はナンディヴィサーラの話をおもしろがって聞いていました。かわいいナンディヴィサーラが熱心に語るので、だめだとは言えません。
そのうち、本当に、たくさんの牛を持つ大金持ちと話をする機会がやってきました。大金持ちが自分の牛を自慢するのを聞くと、「うちのナンディヴィサーラの方がずっとすごいぞ」と言いたくてたまりません。
とうとう勢いで、「うちの牛は、たった一頭で、つないだ百台の荷車をひくことができますよ。なんなら、金貨千枚賭けたっていい。」と言ってしまいました。
大金持ちはびっくりして、「なんだって? そんな牛がいったいどこにいるんだい?」と聞きました。
「私の家にいるのさ。」と農夫はこたえました。
大金持ちは、「それなら、本当にできるかどうかやってみようじゃないか。金貨千枚賭けるぞ。」と話にのりました。
さて、賭けの当日がやってきました。
ナンディヴィサーラは河で水浴びをして首に花輪をかけてもらって、百台の荷車がつながっている列の先頭の荷車につながって、そこで堂々と立っていました。
それにくらべて、農夫はなんだか顔色がさえません。表情も暗くてかたくなっています。千枚の金貨を賭けたことが怖くなり、後悔していたのです。いつもこどもたちと遊んでいるやさしくておだやかなナンディヴィサーラが、百台の荷車をひくなんて考えられません。
「ナンディヴィサーラが言うから、あんな話にのってしまったが、金貨千枚なんて、私に払える金額じゃないぞ。負けたらいったいどうすればいいんだ。あいつはなんだって、こんな話を私にもちかけたんだ。もうあとにも引けないし、どうすりゃいいんだ。」ということが、農夫の心の中でぐるぐると回っていました。
さて、いよいよ、ナンディヴィサーラが荷車をひくことになりました。なんとしてでもひいてもらわないと、金貨千枚を損することになります。農夫は鞭を取り、振り上げて、ナンディヴィサーラにこう言いました。
「この腰抜けの大ボラ吹き!! さあ、ひくんだ!」
この言葉を聞いた瞬間、「さあ、ひくぞ」と力をみなぎらせていたナンディヴィサーラの体が、ぴたっと止まってしまいました。四本の足は柱になってしまったように、動かなくなってしまいました。
「腰抜けの大ボラ吹きだって? ぼくは腰抜けじゃないし、ホラ吹きなんかじゃないぞ。」
ナンディヴィサーラの心もからだも、カチンと凍ったように止まってしまいました。ひこうとしても1ミリも動けないのです。
農夫の負けが決定しました。
農夫は金貨千枚を失いました。
体が二つに折れ曲がるほどうなだれて、農夫はしおしおと家に戻って、そのままふとんをかぶって丸くなってしまいました。
ナンディヴィサーラも歩いて家に帰ってきました。そして、ふとんをかぶって寝ている農夫を見ました。農夫が寝ているベッドに近づいて行って、ナンディヴィサーラが話しかけました。
「お父さん、お父さん、眠っているの?」
「いや、眠れはしないよ。おれはもうダメだよ。金貨千枚を失って、でっかい借金ができちゃった。」
「お父さん、どうしてぼくのことを『腰抜けの大ボラ吹き』なんて言ったの? ぼくがこれまでに腰抜けだったことがある? 一度でも嘘を言ったことがある? お父さんに言われた仕事を、ぼくがやらなかったことがある?」
農夫は言いました。
「いや、一度だってないな。おまえはいつだってやるべきことをしっかりやってくれたよ。勇気もある。嘘を言ったことなんか一度もない。」
「うん。あんなことを言われたら、ぼくは動けなくなっちゃったよ。お父さんの言葉は間違っていたよ。」
農夫はナンディヴィサーラの首のところに手を回して、こう言いました。
「そうだな。おまえの言うとおりだよ。ひどい言葉を使ってしまった私が間違っていたよ。」
ナンディヴィサーラはこう言いました。
「お父さん、あの大金持ちと、もう一度賭けをしてください。今度は金貨二千枚を賭けるのです。でも、あんな言葉でぼくに呼びかけないでね。」
農夫は出かけて行って、れいの大金持ちにもう一度、百台の荷車をひく賭けをしないかと話をしました。大金持ちはすぐにのってきました。「今度は金貨二千枚を賭けよう」と言うと、文句なく「そうしよう」と言うことになりました。大金持ちは、ナンディヴィサーラには百台の荷車なんてひけっこない、と思っていたのです。
さて、その日が来ました。農夫はいつもするように、ナンディヴィサーラをていねいに手入れしてあげて、花輪を飾りました。ナンディヴィサーラの体は輝いて、堂々としていました。農夫は百台の荷車をつないだ先頭に、ナンディヴィサーラをていねいにしっかりと結びつけました。大きな力がかかってもだいじょうぶなように、ぐらぐらするところがないよう、よく気をつけて結びました。そして、ナンディヴィサーラのからだをやさしくポンポンとたたきました。
さあ、いよいよその時が来ました。
農夫は大きな声でナンディヴィサーラに呼びかけました。
「強い子よ、かしこいナンディ! さあ、ひこう!」
ナンディヴィサーラは渾身の力を込めました。百台の荷車は後ろにずらりとつながっています。びくともしないように見えます。ナンディヴィサーラは頭を下げて、足を踏ん張りました。全身が集中して力をふりしぼります。
そうすると、動きました。最初はほんのちょっと動きました。少しだけ前に進み、それからもっと進み、とうとう百台の荷車の車輪全部が回り始めました。
一歩、また一歩、ナンディヴィサーラは前に進みます。進んで進んで、先頭の荷車があったところに、一番後ろの荷車が来るところまで、一気にひきました。
拍手喝采です。
農夫は目に涙をためてナンディヴィサーラにかけよりました。見ていた人たちもみな、ナンディヴィサーラのがんばりに、大喜びでほめたたえました。
見てください。花やお金が雨のように、ナンディヴィサーラと農夫の上にふりそそぎます。
賭けをした大金持ちも、ナンディヴィサーラに「あっぱれ」と二千枚の金貨を渡しました。
農夫はナンディヴィサーラのおかげで、とても裕福になりました。
農夫とナンディヴィサーラは、それからも仲良く助け合って、幸せに暮らしたということです。
おしゃかさまからのメッセージ
やさしい言葉・あたたかい言葉だけを話しましょう。
きつい言葉・傷つける言葉・イヤな言葉は決して話さないようにしましょう。
やさしい言葉を語る人のために、牛は重い荷車をひきました。
その人に、財産をもたらしました。
相手を大切にして語る言葉によって、幸せになるのです。
(おしまい)
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