65話 死への旅立ち ・・・・ 般涅槃へ(最期の1年)
第6部 入滅へ
第1章 ブッダ最後の旅
65話 死への旅立ち ・・・・ 般涅槃へ(最期の1年)
伝道布教の最初の二十年間、世尊は、雨安居をさまざまなところで過ごされた。しかし、二十一回目を起点に四十四回目まで連続して、雨安居をサーヴァッティ(舎衛城)で過ごされ、ジェータヴァナ僧院(祇園精舎)とプッバーラーマ僧院(東園鹿子母講堂)のみに住まわれた。四十四回目の雨安居の後、世尊は、最後の旅をされ、それは時系列的に「大般涅槃経(マハーパリニッバーナスッタ)」に記録されている。さまざまな出来事の出発地点はマガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)で、ヴァッジ族に戦争を仕掛けたがっていたアジャータサットゥ王が背景にいる。
ラージャガハとヴェーサーリーは当時繁栄していた二つの都市で、西から東に流れるガンジス川によって分断されていた。ヴェーサーリーが北側で、ラージャガハは南側だった。両市のほぼ真ん中あたりに、パッタナガーマという隊商の宿の村があった。アジャータサットゥ王の支配領から半ヨージャナほど(十㌔未満程度)の地域で、残りはリッチャヴィー族の支配領だった。
(訳注:ヴァッジ国は当時の十六大国の一つで、ヴァッジ族、リッチャヴィー族など8部族の連合体。王のような絶対的権力をもつ統治者は存在せず、集会で国策を決める共和制国家。首都はヴェーサーリーで、リッチャヴィー族の地域)
パッタナガーマの近くに、貴重品をたくさん保管してある場所があった。これを知って、アジャータサットゥ王はそこへ行きたいと思ったのだが、リッチャヴィー族が先まわりして行き、宝物すべてをかっさらっていった。アジャータサットゥ王がそこに到着したときには得るものが何もなかった。そこで王は手ぶらのまま、怒りを抱きつつ帰るほかなかった。その次の年にもリッチャヴィー族は同様のことをした。かれらはアジャータサットゥ王より早く、宝物をもっていってしまった。王はリッチャヴィー族に対して怒り心頭に発し、絶滅してやるぞ、という思いにとりつかれた。
戦争を起こせば、人命が失われ、財産が失われ、さらには悲惨な影響が双方に及ぶ、とわかっていたので、アジャータサットゥ王は、第一大臣のヴァッサカーラ・バラモンを、そのころラージャガハ近くの鷲峰(ギッジャクータ)山に住まわれていた世尊のもとへ派遣した。王は世尊の助言を望んだのである。王はバラモンに、こう命じた。
「さあ、バラモンよ、世尊のもとへ行って、こう述べよ。『尊師よ、ヴェーデーヒー妃の子でマガダ国王のアジャータサットゥが、世尊の御足を頭に頂き、礼拝します。患い、病いがなく、健やかで、気力あふれ、幸福であられるか、お尋ねします』それから、こう述べよ。『尊師よ、ヴェーデーヒー妃の子でマガダ国王のアジャータサットゥは、ヴァッジ族を攻撃したい、と切望しております。王は、このように申しております。〈強大で有力なヴァッジ族を、わたしは絶滅したい。わたしは、かれらを滅ぼすであろう。わたしは、かれらに粉砕と崩壊をもたらす〉』そなたは世尊の回答をしっかり記憶して、わたしに報告せよ! 如来(タターガタ)は、決して偽りを語られない」
そこで、ヴァッサカーラは馬車に乗り、ラージャガハから鷲峰(ギッジャクータ)山へ、馬車で行けるところまで行った。そこまで行って馬車から降り、世尊のいらっしゃるところまで歩いて行った。ヴァッサカーラは世尊に近づき、あいさつを交わした後、適切な場所に坐り、アジャータサットゥ王の伝言を申し述べた。
統治者にとって繁栄の七つの条件(王の不衰退法(ラージャ-アパリハーニヤダンマー))・・・不衰退法その1.
ヴァッサカーラ・バラモンが上述のように尋ねると、世尊は、世尊の背後に立って世尊を扇いでいたアーナンダ尊者に話しかけ、対話に参加させるようなかたちで、質問に答えられた。
(1)「アーナンダよ、そなたは、ヴァッジ族がしばしば集まって、多数が出席する集会をひらいている、ときいていますか?」
「そう、きいております、尊師よ」
「かれらがそうしている限り、アーナンダよ、かれらには繁栄が期待され、衰退はありません」
(2)「アーナンダよ、そなたは、ヴァッジ族が和合して集まり、和合して立ち上がり、和合してヴァッジ族のなすべきことをなしているかどうか、きいていますか?」
(3)「(アーナンダよ、そなたは、ヴァッジ族が・・・以下、同じくりかえし)制定していないことを制定するのを避け、制定していることを廃止するのを避け、すでに確立している古くからあるヴァッジ族の伝統と慣習を継承して調和させるなかで前進しているかどうか、きいていますか?」
(4)「(・・・)ヴァッジ族の長老たちを敬い、尊び、崇め、重んじ、長老たちの役に立つ助言を考慮に入れているかどうか、きいていますか?」
(5)「(・・・)一族の女性や少女を力ずくで誘拐し、監禁することをつつしんでいるかどうか、きいていますか?」
(6)「(・・・)街なかや田舎の両方にあるヴァッジ族の廟を敬い、尊び、崇め、重んじ、これまで献げられ、なされたもっともな供物や奉納を許さず、衰えさせていることがないかどうか、きいていますか?」
(7)「(・・・)もろもろの阿羅漢に対して、いまだ来ていない阿羅漢には領地にやってくるように、また、すでに来ている阿羅漢には安らかに快適に暮らせるように、それぞれふさわしい保護、防護、支援をしているかどうか、きいていますか?」
「〈(2)~(7)のそれぞれについて〉そう、きいております、尊師よ」
「かれらがそうしている限り、アーナンダよ、かれらには繁栄が期待され、衰退はありません」
そこで、世尊はヴァッサカーラ・バラモンに話しかけられた。
「かつて、バラモンよ、わたしがヴェーサーリーのサーランダダ廟に住んでいたとき、わたしはこの七つの不衰退・繁栄の条件をヴァッジ族に教えました。かれらが、この七つの不衰退法を遵守している限り、そして不衰退法がかれらのあいだで教えられている限り、ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰退はありません」
これをきいて、バラモンが答えた。
「この七つの不衰退法のうちのたった一つでも注意深く遵守していれば、ゴータマ師よ、ヴァッジ族の繁栄は保証され、かれらが衰退を招くことはまったくありません。では七つすべてを注意深く遵守したら何がいえるというのでしょうか? それはいうまでもなく、まさしくゴータマ師よ、アジャータサットゥ王が言葉巧みにヴァッジ族をうまく味方に引き入れられるか、離間策の種をまくかしなければ、たんにヴァッジ族に戦争を仕掛けて征服しようとすることは決してありません。ところで、われらは、これにて失礼いたします。われらは多忙で、なすべきことがたくさんありますので」
「いまがそのときです、バラモンよ。そなたが、そうするのがふさわしい、と考えるなら」
ヴァッサカーラ・バラモンは、世尊が説かれた言葉に大いに満足し、喜んだ。席から立ち、感謝の意を表した後、去って行った。
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)①)・・・不衰退法その2.
ヴァッサカーラ・バラモンが立ち去るとすぐ、世尊は、弟子たちに繁栄をもたらすはずの同じような説法をしようと思い立たれ、アーナンダ尊者に、ラージャガハの近辺に住んでいる比丘たちすべてを招集して、講堂に集めなさい、と告げられた。
それから、世尊は講堂へ行かれ、世尊のために設けられた座に坐られた。世尊は比丘たちに、こう説かれた。
「比丘たちよ、わたしはそなたらに、七つの不衰退法を教えることにします。わたしがこれから説くことを、注意深くきいて、心にとどめなさい」
「かしこまりました、尊師よ」と、比丘たちは応じた。
そして世尊は、比丘たちに説法した。
「比丘たちよ、(1)比丘たちが、たびたび集まって、多数の参加する集会をひらく限り、(2)比丘たちが、和合して集まって、和合して立ち上がり、和合して僧団(サンガ)の僧としてなすべきことをする限り、(3)比丘たちが、制定していない戒律を制定するのを避け、制定している戒律を破棄するのを避け、世尊によって定められた修行規則(学処)と調和させるなかで前進している限り、(4)比丘たちが、経験ゆたかで、出家して久しく、僧団の父であり、指導者である長老たちを、敬い、尊び、崇め、重んじ、かれらの役に立つ助言を考慮に入れている限り、(5)比丘たちが、かれらのなかに生起し、くりかえし再生へみちびく渇愛の力に落ちこまないでいる限り、(6)比丘たちが、遠離の森の臥坐所へ行きたいと望む限り、(7)比丘たちが、みずからのなかに気づきを持続し、まだやって来ていない聖なる修行(梵行)をともに実践する修行者がやって来るように、そして、すでに来ている聖なる修行をともに実践する修行者が安らかに、快適に、暮らせるようにしている限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)②)・・・不衰退法その3.
さらに、世尊は、別のひと組の七つの不衰退法を説かれた。
「比丘たちよ、(1)比丘たちが、多忙な仕事に、楽しみをもち、喜び、没頭しない限り、(2)比丘たちが、おしゃべりを楽しみ、その喜びを追求しない限り、(3)睡眠を楽しみ、その喜びを追求しない限り、(4)社交を楽しみ、その喜びを追求しない限り、(5)比丘たちが、邪悪な欲望をもたず、邪悪な欲望の影響下に落ちこまない限り、(6)比丘たちが、悪友とつきあわず、悪に傾くことがない限り、(7)比丘たちが、ごく低い程度の、俗世間でのわずかなちがいでしかない達成で、修行を途中でやめてしまわない限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)③)・・・不衰退法その4.
さらに、世尊は、別のひと組の七つの不衰退法を説かれた。
「比丘たちよ、比丘たちが、信をもち、悪行を内心で恥じ(慙)、邪行の外聞を恐れ(愧)、広大に学び(多聞)、たゆまず努力(精進)し、気づき(念)を確立し、洞察智(慧)をそなえる限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)④)・・・不衰退法その5. 「七覚支」
さらに、世尊は、別のひと組の七つの不衰退法を説かれた。
「比丘たちよ、比丘たちが、覚りの要素である念、択法、精進、喜、軽安、定、捨を育てる限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)⑤)・・・不衰退法その6.
さらに、世尊は、別のひと組の七つの不衰退法を説かれた。
「比丘たちよ、比丘たちが、無常の想、無我の想、身不浄の想、危難の想、捨断の想、離欲の想、滅尽の想を育てる限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
比丘の繁栄の条件(比丘の不衰退法(ビック-アパリハーニヤダンマー)⑥)・・・不衰退法その7.
さらに、世尊は、別の六つでひと組の不衰退法を説かれた。
「比丘たちよ、比丘たちが、慈悲ある(1)身の行為を、(2)語の行為を、(3)意の行為を、聖なる修行の生活で同じ修行をしている仲間に対して、陰に陽にしている限り、(4)比丘たちが、正当に得たどんな必要なものでも、たとえ托鉢の鉢に集めた食べ物であっても、戒をまもっている仲間に公平に、分けへだてなく分配している限り、(5)比丘たちが、聖なる修行の生活で同じ修行をしている仲間のあいだで、賢者が推奨する戒を遵守し、邪見に支配されず、集中に資する、壊れていない、引き裂かれていない、汚れのない、染みのない、自由な生活を公的にも個人的にも両方でしている限り、(6)比丘たちが、涅槃にみちびき、それを実践する者が完全な苦の滅尽にみちびく聖者の見解にとどまっている限り、比丘たちには繁栄が期待され、衰退はありません」
かくして世尊は、仏弟子たちに五組の七不衰退法と、ひと組の六不衰退法を教示された。
そして、世尊がラージャガハ近くの鷲峰山に住まわれていたあいだ、最後の旅の途中、比丘たちに説法するたび、次のテーマをくり返し、熱心に説かれた。
「それは道徳(戒(シーラ))、それは集中(定(サマーディ))、それは智慧(慧(パンニャー))です。戒をとおして育つ定は、大きな功徳と大きな果報をもたらします。定をとおして育つ慧は、大きな功徳と大きな果報をもたらします。慧をとおして育つ心は、煩悩の汚染、すなわち官能欲(欲)、存在継続の渇望(有)、邪悪な見解(見)、四聖諦の無知(無明)-のそれぞれの汚染から、完全に解脱してゆきます」
サーリプッタ尊者の獅子吼
世尊が、ラージャガハに御心のままの長さ、住まわれていたとき、世尊は、アーナンダ尊者と多数の比丘をともなってアンバラッティカー園へ行かれ、王の離宮に滞在された。そこでしばらくたった後、世尊はナーランダーへ向かう旅をつづけられ、パーヴァーリカのマンゴー林に滞在された。
そのとき、サーリプッタ尊者が、世尊に近づいてこられた。世尊に礼拝後、サーリプッタ尊者はこのような勇敢な発言を申し述べられた。
「尊師よ、わたしは確信しております。正自覚者としての世尊を超える、いかなる行者も、いかなるバラモンも、かつて存在せず、今後存在せず、いまも存在していない、ことを」
サーリプッタ尊者の感きわまった法悦の歌、それは獅子(ライオン)が吼えるような勇敢な声の発言であったが、世尊は、過去のブッダの、未来のブッダの、現在のブッダの、心を明確に知っているのかどうか、質された。
サーリプッタ尊者は、そのような奥深い智慧はもっていない、と答えた。しかし、尊者は、こう弁明された。
「尊師よ、わたしには、過去、未来、現在の阿羅漢である正自覚者の方々に対する他心智(チェートーパリヤ ニャーナ)はありません。とは申しましても、わたしは法推知智(ダンマンヴァヤ ニャーナ)に通じております。すなわち、個人的な経験から推定する智慧です。
たとえば、尊師よ、王国の辺境に都市があり、堅固な塹壕、城壁、要塞と、ただ一つの門があり、賢明で有能で機敏な門番がいて、見知らぬ者は門番が締め出し、知っている者のみ出入りさせる、とします。そして門番自身が、その都市を周回する道をぐるっと巡って、城壁にはどこにもすき間が見当たらず、猫一匹出入りできるほどの穴さえ見つからなかった、とします。そのとき門番は、ある一定の大きさ以上の生き物は、ただ、あの門を通って出入りするほかないのだ、と結論を下すでありましょう。
ちょうどそのように尊師よ、わたしが通じております法推知智(ダンマンヴァヤ ニャーナ)によって、わたしは過去の世尊の方々、阿羅漢である正自覚者の方々すべてが、心を汚して理解を弱める五蓋(貪欲・瞋恚・惛沈睡眠・掉挙後悔・疑)を捨て去り、四念処において心を確立し、七覚支を正しく育てることによって無上の正自覚に到達された、と知っております。未来の世尊の方々、阿羅漢である正自覚者の方々すべても、同様でありましょう。現在の世尊、阿羅漢である正自覚者も、同様にされたのです」
パータリ村で道徳(戒)について説法
ナーランダーに御心のままの長さ、住まわれた後、世尊は、アーナンダ尊者と多数の比丘たちをともなわれてパータリ村へ向かって旅をつづけ、在家信者によって寄進された新しい宿坊に滞在された。
このパータリ村で、世尊は村の在家信者に、道徳(戒)について説法された。
「在家の資産家たちよ、不道徳(無戒)の者は、道徳の欠如によって次の五つの不都合を招きます。五つとは何か? ここに、不道徳の者は道徳で失敗し、怠慢(放逸)をとおして富の大損失をこうむります。第二に、不道徳の者には悪い評判が立ち、遠くまで広範囲に広がります。第三に、不道徳の者はどんな集会に行っても、その集会が王侯貴族・武士のものであれ、バラモン、資産家、行者のものであれ、おどおど、おずおず気後れします。第四に、不道徳の者は、うろたえ迷った状態で亡くなります。第五に、身体が崩壊して死後、悲惨な状態に再生し、悪趣、阿修羅、さらには地獄へ堕ちることもあります。
しかし、道徳(持戒)者は、道徳的に完全であることによって次の五つの功徳を得ます。五つとは何か? ここに、道徳者は道徳的に完全で、精励(不放逸)をとおして大きな富を得ます。第二に、道徳者の善い評判は遠くまで広範囲に広がります。第三に、道徳者はどんな集会に行っても、その集会が王侯貴族・武士のものであれ、バラモン、資産家、行者のものであれ、自信と勇気があります。第四に、道徳者は、うろたえ迷うことなく亡くなります。第五に、死後、身体が崩壊すると、善趣(現世で善行為をした者が趣くところ)に再生し、天界へゆくこともあります」
パータリプッタ市の建設と「ゴータマの門」
ちょうどそのころ、マガダ国の第一大臣であるスニダとヴァッサカーラは、ヴァッジ族をなんとかして食い止めるために、パータリ村に都市を建設していた。そのパータリ村で、多くの神々が、それぞれ何千もの群れをなして村の土地のさまざまな場所に出没しているのを、世尊は天眼でご覧になった。大きな威力をもつ神々が、その出没している場所で、都市建設の責任をもつ役人たちの心を、大きな勢力をもつ王族の青年や大臣の家を築くように向けさせているのを、世尊は感知された。ほかの中程度の威力をもつ神々は、かれらの出没している場所で、都市建設の責任をもつ役人たちの心を、中程度の勢力をもつ王族の青年や大臣の家を築くように向けさせているのを、世尊は感知された。さらにそのほかの、より小さな威力をもつ神々は、かれらの出没している場所で、都市建設の責任をもつ役人たちの心を、より小さな勢力をもつ王族の青年や大臣の家を築くように向けさせているのを、世尊は感知された。
世尊は、上記のようにご覧になって、パータリプッタが貴族の全行楽地中、最大の都市となり、あらゆる種類の物資が行き交う全商業中心地中、最大の都市になるであろう、と予言された。しかし、パータリプッタは、三つの災難に見舞われ、没落するであろう、ともいわれた。すなわち、火災、水害、内紛である。
世尊がパータリ村に到着された、ときいて、バラモンのスニダとヴァッサカーラは世尊と比丘たちの一行を翌日の布施食に招待した。その食事後、世尊は次の三つの偈を口にされ、布施食への謝意を示された。
“どこであれ、賢者は、みずから住まうところで、布施食を献げよ
その地で、戒をそなえ、清浄なる生活(梵行)を営み、自制する者らへ”
“そして、布施の功徳を回向せよ、その地に出没する神々へ
供養すれば、かれらも供養するであろう。崇敬すれば、それに応じてかれらも崇敬するであろう”
“それゆえ、神々は賢者を、母がわが子を愛するがごとく、愛する
そして、神々に愛された者は、いつでも吉祥に出会う”
それから、世尊は座から立って、出て行かれた。世尊来訪の栄誉を誇りとし、スニダとヴァッサカーラは世尊に付き従って行き、そのとき、こう呼ぶことに決めたのである。
「世尊が退出される門は『ゴータマの門』と呼ばれるであろう。世尊がガンジス川を渡られる渡し場は『ゴータマの渡し場』と呼ばれるであろう」
しかし、世尊がガンジス川へ行かれたとき、川の水が岸からあふれ出ようとしていた。世尊は神通力によって、まるで強い男が曲げた腕を伸ばしたり、伸ばした腕を曲げたりするかのように、やすやすと川を渡られた。世尊は比丘の僧団とともに、ガンジス川のこちら岸からかき消え、はるか向こう岸へ、ふたたび姿をみせられた。
世尊は、川を渡ろうとして舟を探し求めている人びとや、木のいかだを探し求めている人びとや、そして、竹を縛っていかだをつくっている人びとらをご覧になった。その意味を了解されて、世尊は、喜ばしい感興の言葉を、このように口にされた。
“大勢が広大な川を渡るであろう
川の深さと広さを避けるため、橋を架けることによって
いかだを縛っている人びとがいる一方
賢者は、すでに渡り終えているのだ”
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Episode 65 THE END JOURNEYS OF THE BUDDHA
In the first twenty years of His ministry, the Blessed One spent His rains-residence at various places. But, starting from His twenty-first up to His forty-fourth rains-residence He spent it consecutively in Sāvatthi only at the Jetavana Monastery and the Pubbārāma Monastery. After the forty-fourth rains-residence, the Blessed One made the last journeys, which were recorded chronologically in the Mahāparinibbāna
Sutta. The starting point of the events was at Rājagaha, the capital city of the Magadha Kingdom, with the background of King Ajātasattu, who was anxious to wage war against the Vajjians.
Rājagaha and Vesālī were two prosperous cities led by two powerful kings. They were separated by the Gaṅgā River, which flowed from the west to the east. Vesālī was on the northern side, while Rājagaha was on the southern side. At about the middle of both cities, there was a caravan station village called Paṭṭanagāma; about half a yojana of the region was under the domain of King Ajātasattu, while the rest came
under the domain of the Licchavīs.
Near Paṭṭanagāma, there was a hillside with a rich deposit of precious materials. Knowing this, King Ajātasattu intended to go there, but the Licchavīs got there first and took away all the treasures. When King Ajātasattu arrived there, he got nothing to take. So, he had to go back home with empty hands and with a great anger. In the following year, the Licchavīs did the same thing. They took the treasures earlier before King Ajātasattu. The king was full of fury against the Licchavīs and was obsessed to exterminate them.
Knowing that a war would result in loss of human life, loss of properties and other disastrous effects on both sides, King Ajātasattu sent his chief minister, the brahmin Vassakāra, to the Blessed One, who at that time was residing at the Gijjhakūṭa Hill near Rājagaha. He wanted to seek His advice. He told the brahmin: “Come, brahmin, go to the Blessed One and say: ‘Lord, Ajātasattu Vedehiputta, king of
Magadha, pays homage with his head at the Blessed One’s feet and asks if He is free from affliction and sickness and is enjoying health, strength and happiness.’ And say: ‘Lord, Ajātasattu Vedehiputta, king of Magadha, is anxious to attack the Vajjians. He says: “I will exterminate these Vajjians, who are so mighty and powerful. I will
destroy them. I will bring them to wreck and ruin.”’ Note well what His answer is and report it to me! The Tathāgata never speaks lie.”
Then, Vassakāra mounted on one of the carriages and drove out of Rājagaha towards the Gijjhakūṭa Hill as far as the way was passable for carriages. Then, he alighted and went on foot to where the Blessed One was. He approached the Blessed One, and after exchanging greetings, he sat at a suitable place and conveyed King Ajātasattu’s message.
Seven Conditions of Prosperity for a Ruler (Rāja-aparihāniyadhammā)
When the brahmin Vassakāra asked thus, the Blessed One indirectly answered his questions by engaging the Venerable Ānanda—who was standing behind Him and fanning Him—in a dialogue: “Ānanda, have you heard whether the Vajjians hold frequent and well-attended meetings?”
“They do, Lord.”
“As long as they do so, Ānanda, they can be expected to prosper and not to decline.”
“Ānanda, have you heard whether they assemble in harmony, rise in harmony, and do their duty as Vajjians in harmony?…whether they avoid enacting the unenacted, avoid abolishing existing enactments, and proceed in accordance with the already established ancient Vajjian traditions and practices?…whether they honour, respect, revere and venerate the Vajjian elders and consider their worthy advice?…whether they refrain from abducting by force and detaining women and girls of
their clans?…whether they honour, respect, revere and venerate Vajjian shrines both in towns and countries without allowing appropriate offerings and oblations, hitherto given and made, to lapse?…whether suitable protection, defence and support are provided for Arahants so that the Arahants who have not come to the realm may come, and the Arahants who have already come may live in peace and comfort?”
“They do, Lord.”
“As long as they do so, Ānanda, they can be expected to prosper and not to decline.”
Then, the Blessed One spoke to the brahmin Vassakāra: “Once, brahmin, when I was living in the Sāradanda Shrine in Vesālī, I taught the Vajjians these seven conditions of prosperity. As long as they abide by these seven principles and the principles are taught among themselves, the Vajjians may be expected to prosper and not to decline.”
Hearing this, the brahmin replied: “Abiding carefully by just one of these principles, Master Gotama, would ensure the prosperity of the Vajjians, allowing no reason for their decline, so what can be said if they carefully abide by all seven? Indeed, Master Gotama, King Ajātasattu will never conquer the Vajjians simply by waging war upon them, unless he can successfully seduce them and sow seeds of
dissension among them. But we shall go now, Master Gotama. We are busy and have much to do.”
“It is time now, brahmin, to do as you think fit.”
Brahmin Vassakāra was greatly satisfied and delighted in the Blessed One’s words; he rose from his seat and after expressing his appreciation, he departed.
Conditions of Prosperity for Bhikkhus (Bhikkhu-aparihāniyadhammā)
As soon as the brahmin Vassakāra had left, the Blessed One, intending to teach a similar discourse which would bring prosperity to His disciples, asked the Venerable Ānanda to summon all the bhikkhus who were living in the neighbourhood of Rājagaha to meet in the assembly hall.
Then, the Blessed One went to the assembly hall and sat down on a seat made ready for Him. He addressed the bhikkhus: “Bhikkhus, I shall teach you seven factors that prevent decline. Listen and attend carefully to what I shall say!”
“Very well, Lord,” they replied.
And the Blessed One discoursed to the bhikkhus: “Bhikkhus, so long as bhikkhus hold frequent and well-attended meetings…so long as bhikkhus assemble in harmony, rise in harmony, and do their duty as members of the Saṁgha in harmony…so long as bhikkhus avoid enacting the unenacted, avoid abolishing existing enactments, and proceed in accordance with the training rules prescribed by the Blessed One…so
long as bhikkhus honour, respect, revere and venerate the bhikkhu elders who are experienced, long gone forth, who are the fathers and leaders of the Saṁgha, and consider their worthy advice…so long as bhikkhus do not fall into the power of craving which arises in them and which leads to repeated births…so long as bhikkhus are willing to go into seclusion in remote forest dwellings…so long as bhikkhus
maintain mindfulness in themselves so that co-practitioners in the holy life who have not come to them may come and co-practitioners in the holy life who have come may live in peace and comfort, they may be expected to prosper and not to decline.”
Further, the Blessed One expounded another set of seven factors of non-decline: “Bhikkhus, so long as bhikkhus do not delight in, rejoice and engage in being busy; so long as bhikkhus do not delight in and seek enjoyment in gossiping; …in sleeping; …in society; so long as they have no evil desires and avoid falling under their influence; so long as they do not associate with evil friends and are not prone to
evil; so long as they do not stop half-way with the attainment of only the lower, worldly distinctions, they may be expected to prosper and not to decline.”
Further, the Blessed One expounded another set of seven factors of non-decline: “Bhikkhus, so long as bhikkhus have faith, shame of doing evil, and fear of wrong doing, vast learning, strenuous effort, are established in mindfulness, and are endowed with insight knowledge, they may be expected to prosper and not to decline.”
Further, the Blessed One expounded another set of seven factors of non-decline: “Bhikkhus, so long as bhikkhus cultivate the Enlightenment factors of mindfulness, investigation of states, energy, rapture, tranquillity, concentration, and equanimity, they may be expected to prosper and not to decline.”
Further, the Blessed One expounded another set of seven factors of non-decline: “Bhikkhus, so long as bhikkhus cultivate the perception of impermanence, of non-self, of loathsomeness of the body, of danger, of abandonment, of detachment, and of cessation, they may be expected to prosper and not to decline.”
Further, the Blessed One expounded six factors that prevent decline:
“Bhikkhus, so long as bhikkhus show loving-kindness in bodily actions, in verbal actions and in mental actions towards their companions in the holy life, both openly and privately; so long as bhikkhus share whatever requisites which are righteously obtained, even the alms-food collected in their alms-bowls, with virtuous companions in the holy life impartially and indiscriminately; so long as bhikkhus, among
their companions in the holy life, live both openly and privately, abide by the same training rules which are commended by the wise, not subject to misconception, conducive to concentration, and which are unbroken, untorn, unblotched, unmottled, emancipating; so long as bhikkhus remain in noble ones’ view which leads to Nibbāna and which leads to the complete exhaustion of suffering for him who gives effect
to it, they may be expected to prosper and not to decline.”
Thus, the Blessed One taught His disciples five sets of seven conditions of prosperity and a set of six conditions of prosperity.
And while the Blessed One was living at the Gijjhakūṭa Hill near Rājagaha, along His last journeys, whenever He discoursed to the bhikkhus, He exhorted the bhikkhus with the following theme repeatedly: “Such is virtue (sīla), such is concentration (samādhi), such is wisdom (paññā); concentration which is developed through
virtue brings great benefits and great fruits; wisdom which is developed through concentration brings great benefits and great fruits; the mind which is developed through wisdom becomes completely liberated from taints, namely the taints of sensual desire, the taints of hankering after continued existence, the taints of wrong views, and the taints of ignorance of the Four Noble Truths.”
The Venerable Sāriputta’s Lion’s Roar
When the Blessed One had lived at Rājagaha as long as He chose, He went to the Ambalaṭṭhikā Garden, accompanied by the Venerable Ānanda and a large number of bhikkhus, and stayed at the king’s rest-house. And after some time there, the Blessed One continued His journey to Nāḷandā and stayed at Pāvārika’s mango grove.
At that time, the Venerable Sāriputta approached the Blessed One. After paying obeisance to the Blessed One, he proclaimed a brave utterance: “Lord, I am convinced that there has never been, nor will there ever be, nor is there any other ascetic or brahmin who excels the Blessed One as regards Perfect Enlightenment.”
Hearing the Venerable Sāriputta’s song of ecstacy—which was like the brave sound of a lion’s roar, the Blessed One justified whether he had known definitely the minds of the Buddhas of the past, of the future, or the mind of the present Buddha.
The Venerable Sāriputta replied that he had no such intimate knowledge, but gave his justification: “Lord, I have no knowledge of reading with mind (cetopariya ñāṇa) the minds of the Worthy Ones, the Fully-Enlightened Ones of the past, the future and the present. Nevertheless, I am acquainted with the Dhamma lineage (dhammanvaya
ñāṇa), that is, the knowledge by inference from personal experience.”
“Suppose, Lord, a king had a frontier city with strong ditches, ramparts, bastions and a single gate, and he had a wise, clever, sagacious gatekeeper there who would keep out strangers and admit only those whom he knew. And when he had himself gone round the path encircling the city, he had seen no gaps in the ramparts or any hole even big enough for a cat to pass through. Then, he might conclude
that living beings above a certain size must go in and out of the city through that only gate.”
“Even so, Lord, by the Dhamma lineage which is known to me, I know all the Blessed Ones of the past, the Worthy and Fully-Enlightened Ones, had abandoned the five hindrances that defile the mind and weaken understanding, had their minds well established upon the four foundations of mindfulness; they had attained Supreme Full
Enlightenment by rightly cultivating the seven factors of Enlightenment. All the Blessed Ones of the future, the Worthy and Fully-Enlightened Ones, will do likewise. The present Blessed One, the Worthy and Fully-Enlightened One, has done likewise.”
The Discourse on Virtue at Pāṭaligāma
After staying in Nāḷandā as long as He wished, the Blessed One, accompanied by the Venerable Ānanda and a large number of bhikkhus, continued His journey to Pāṭaligāma and stayed at a new guest-house offered by the lay devotees of the village.
In this village, the Blessed One delivered a discourse on virtue to the lay devotees of Pāṭaligāma: “Householders, the unvirtuous person incurs these five disadvantages through lack of moral virtue. What five? Here, the unvirtuous person who fails in virtue suffers a great loss of wealth through negligence. Secondly, his ill repute spread far and wide. Thirdly, whatever assembly he goes into, whether of
warrior-nobles or brahmins or householders or ascetics, he is diffident and uneasy. Fourthly, he dies in a bewildered state. Fifthly, on the dissolution of the body, after death, he reappears in a woeful state, in an unhappy destination, in purgatory, even in hell.”
“But the virtuous person acquires these five advantanges through perfection of virtue. What five? Here, the virtuous person who has perfected virtue acquires great wealth through diligence. Secondly, his good reputation spread far and wide. Thirdly, whatever assembly he goes into, whether of warrior-nobles or brahmins or householders or ascetics, he has self-confidence and courage. Fourthly, he dies
without any bewilderment. Fifthly, on the dissolution of the body, after death, he reappears in a happy destination, even in a heavenly world.”
The Founding of the Pāṭaliputta City
At that time, the brahmins Sunidha and Vassakāra, the chief ministers of Magadha were having a city founded at Pāṭaligāma in order to keep the Vajjians at bay. The Blessed One saw with His divine eye that many devas, in groups of thousands each, were haunting many different sites of the land at Pāṭaligāma. The Blessed One perceived that devas of great power inclined the minds of the officials responsible for the founding of the city to build houses for princes and king’s ministers of great power in the places they haunted. Other devas of medium power inclined the minds of the officials responsible for the founding of the city to build houses for princes and king’s ministers of medium power in the places they haunted. Still, other devas of lesser power inclined the minds of the officials responsible for the founding of
the city to build houses for princes and king’s ministers of lesser power in the places they haunted.
Seeing thus, the Blessed One predicted that Pāṭaliputta would be the greatest city of all the resorts of noble ones and of all the trading centres where all kinds of wares were interchanged. But, the City of Pāṭaliputta would be subject to three dangers which might bring about its downfall: fire, water, and dissension.
Hearing that the Blessed One had arrived at Pāṭaligāma, the brahmins Sunidha and Vassakāra invited the Blessed One and the community of bhikkhus for the following day’s meal. After the meal, the Blessed One appreciated their offerings by uttering three stanzas:
“Wheresoever a wise man makes his abode;
Let him offer alms-food to the virtuous persons there who lead the
purity of life, self-controlled.”
“And share the merit of his offering to the devas who haunt the place.
Being honoured, they will honour him; being revered, they will revere
him in return.”
“Thence, the devas love him just as a mother loves her own son.
And a man who is loved by devas always meets with auspicious things.”
Then, the Blessed One rose from His seat and went away. To honour the Blessed One’s visit, Sunidha and Vassakāra then followed the Blessed One, determining: “The gate by which the Blessed One leaves shall be called the Gotama Gate; the ford by which He crosses the Gaṅgā River shall be called Gotama Ford.”
But when the Blessed One came, the Gaṅgā River was overflowing its banks. He then crossed the river by His supernormal power; just as a strong man might stretch out his bent arm or bend his outstretched arm, the Blessed One vanished with the Saṁgha of Bhikkhus from the near bank of the Gaṅgā River and reappeared on the farther bank.
He saw some people who wanted to get across were looking for boats;
some were looking for floats, and some were making bamboo rafts together. Understanding the meaning of this, the Blessed One then breathed forth this joyous utterance:
“The multitude would cross the vast river
By building bridges for avoiding its deep and wide.
While people are lashing their rafts together,
The wise have already crossed.”
The Discourse on the Four Noble Truths at Koṭigāma
The Blessed One continued His journey to Koṭigāma with a large number of bhikkhus. While staying there, He addressed the bhikkhus:
“Bhikkhus, it is through not understanding and not penetrating the Four Noble Truths that both you and I had to run through and move about continuously this long round of existence. What four? They are the Noble Truth of suffering, the Noble Truth of the origin of suffering, the Noble Truth of the cessation of suffering, and the Noble Truth of the way leading to the cessation of suffering. But when these Four Noble Truths are understood and penetrated, craving for existence is completely cut off, craving that drags one to existence is exhausted, and there will be no more rebirth.”
The Discourse on the Mirror of the Dhamma (Dhammādāsa) at Nādika
After staying at Koṭigāma as long as He wished, the Blessed One continued His journey to Nādika with a large number of bhikkhus and stayed at the brick hall.
At that time, the Venerable Ānanda approached the Blessed One and asked the destination and the next existence of several bhikkhus, bhikkhunīs, upāsakas and upāsikās who had died at Nādika. The Blessed One patiently gave the answers, revealing their destination and their next existence, one by one. He also mentioned that among the lay followers in Nādika who had died, fifty of them were Non-Returners (Anāgāmi), ninety were Once-Returners (Sakadāgāmi), and over five
hundred were Stream-Enterers (Sotāpanna).
Then, the Blessed One taught the Venerable Ānanda an exposition of the Dhamma called “the Mirror of the Dhamma” (Dhammādāsa), by which a noble disciple can predict for himself: “There is no more rebirth for me in hell, in the animal kingdom, in the sphere of petas (hungry ghosts), in woeful states, in unhappy destinations, or in purgatory. I am a Stream-Enterer, no more subject to fall. I am certain to attain Enlightenment.”
And the Blessed One expounded the Mirror of the Dhamma thus:
“Ānanda, in this Teaching, the noble disciple has absolute confidence in the Buddha that: ‘Indeed, the Blessed One is worthy of homage, Fully Self-Enlightened, fully endowed with perfect knowledge and conduct, one who has gone rightly, the knower of the worlds, the incomparable leader of man to be trained, the teacher of devas and man, enlightened and blessed.’”
“The noble disciple has absolute confidence in the Buddha that: ‘The Dhamma of the Blessed One is well-expounded, to be realised by oneself, gives immediate result, inviting to “come and see”, worthy of being perpetually borne in mind, and to be realised by the wise each in his mind.’”
“The noble disciple has absolute confidence in the Buddha that: ‘The Order of the Blessed One’s disciples has practised the right way, has practised the straight way, has practised the way to Nibbāna, has practised the proper way. This Order of the Blessed One’s disciples, comprising four pairs of persons, the eight kinds of individuals, is worthy of gifts, is worthy of hospitality, is worthy of offerings, is
worthy of reverential salutation and is an unsurpassed field of merit for the world.’”
“He is endowed with the virtues which are cherished by the noble ones, which are unbroken, untorn, unblotched, unmottled, which are emancipating, commended by the wise, not subject to misconception, and conducive to concentration.”
“Ānanda, the noble disciple who is endowed with these four factors of the Dhamma, called ‘the Mirror of the Dhamma,’ can predict for himself: ‘There is no more rebirth for me in hell, in the animal kingdom, in the sphere of petas (hungry ghosts), in woeful states, in unhappy destinations, or in purgatory. I am a Stream-Enterer, no more subject to fall. I am certain to attain Enlightenment.’”
Thus the Blessed One had journeyed by stages from Rājagaha, the capital city of the Magadha Kingdom, up to the Nādika Village. But, His journey did not end here. Accompanied by His personal attendant—the Venerable Ānanda—and a large company of bhikkhus, He proceeded to Vesālī and stayed at Ambapālī’s mango grove.
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アシン・クサラダンマ長老
1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。詳しく見る
奥田 昭則
1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。詳しく見る
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