寺子屋スジャータ

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)

再話:藤本 竜子
絵 :ただ りょうこ

2022/3/13開催 第19回オンラインこども仏教教室より

せいどうぶつはみんなそうですが、らくにごはんがべられるということは、まあありえないことです。いつもものさがしていなければなりませんし、もののためにろうしなければなりません。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
らくににじっとしていて、おいしいものがおなかいっぱいべられたら・・・
それはだれでもおもってしまうことですね。
むかしむかし、あるもりなかに、いっぴきのキツネがおりました。わかいキツネです。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
わかもののキツネはしょくよくおうせいです。このも、なにかものがないかな、ともりなかをとことことあるいていました。すると、・・・
ありました! すごくでっかいごちそうがちているではありませんか!

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
それはゾウのたいでした。このもりにすんでいたいっとうとしりゾウがかわぎしのところでんでいたのです。よこになったゾウのからだはやまのようでした。

「やったあ!!!でっかいごちそうだ!!」
とっとこはしってって、キツネはゾウのはなにかぷりとかみつきました。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
「か、かたい・・。」
キツネはキバがれそうになってなみだ目になりました。
「あー、びっくりした。これははなだよね。すきにかぶりついたのかとおもっちゃったよ。」
そうひとりごとをって、あらためてゾウのはなました。
「これはべられたものじゃないな。」

そこで、しょえて、べつのところにかぶりつきました。
「あいたたた! かったいなあ。ほねをかんじゃった。」
おもいましたが、それはきばでした。きばべられません。

つぎみみをかんでみました。かむことはできたのですが、なんだかジャミジャミしていて、ぜんぜんおいしくありません。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
「ぺっぺ! ざるのはしっこにかぶりついたのかとおもったよ。だめだ。これはべられたものじゃない。」

つぎにゾウのおなかのところにって、おおきなくちをあけると、おなかにがぶっとかみついてみました。
「なんじゃこりゃあ!おおきなおなかなのに、ぜんっぜんやわらかくないぞ。でかいこくもつくらにくらいついたみたいだ。」

つぎにキツネがちょうせんしたのは、ゾウのあしでした。げんして、ふとあしにかぶりついてみました。
「ああ、やっぱ、だめだったな。こりゃあ、いしうすだ。」

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)

つぎはほそいところにしてみようとおもって、まわすと、しっぽがはいりました。これならかめそうです。
「か、かめるとおもったのに、これもカチカチだ。こりゃあきねをかんでるようなものだ。」

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)

キツネはそのにすわりこみました。どこもここもかたくてちません。
「こんなにおおきいのに、べられるところがどこにもない。」
キツネは、ふうー-っといきをはきました。

それから、りなおしてがると、
「どこかべられるところが、まだあるかもしれない。もうちょっとさがしてみよう。」
と、ゾウのまわりをぐるぐるとあるいて、こまかくていきました。
すると、まだ、やってみていないところがつかりました。
それは、おしりのあなのところでした。
そこにかじりついてみると、なんと、びっくり!! やわらかいおべているみたいなのです。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)

「あったぁ~! ここはふわふわだ。べられるやわらかいところがつかった!」
キツネはそこからはじめました。そとがわのフはかたいので、そこはべずに、どんどん、おなかのなかほうへとべていきました。おなかがぺこぺこだったので、ちゅうすすみました。
そして、おなかがいっぱいになりました。
「はあ、まんぷくだ。いっぱいべたぁー。もう今日きょうは、おうちにかえってゆっくりよう。」
そういって、キツネはかえってきました。

あくる
きのうはおなかいっぱいにべたのですが、おなかというものは、またすいてきます。でも、今日きょうはだいじょうぶ。ものさがしにろうしなくても、おおごちそうのあるしょを、キツネはっています。
キツネはゾウのたいのところにはしってって、今日きょうまよわず、ゾウのおしりあなのところから、おなかのなかのほうへ、昨日きのうつづきをべていきました。
すすんでいくにつれ、キツネはゾウのおなかのなかに入りこんでいきました。

こうして、すうじつのあいだ、キツネはゾウのたいレストランにかよって、まいにち、おなかがいっぱいになるまでべました。ちょうじんぞうかんぞうなど、ないぞうをどんどんべて、どんどんすすみ、いつのまにか、キツネはすっぽりとゾウのおなかのなかにもぐりこんでつづけていました。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)

おなかのなかはやわらかくて、とてもおいしいごちそうです。湿しめもあります。のどがかわいたら、むこともできます。そして、あつくもさむくもありません。ぶあついゾウのフにさえぎられているので、いごこちのよいほらあなのようです。すすんできたので、おなかのなかにはキツネがよこになってられるくうかんもできました。
キツネは、やましゃめんにほったじぶんのあなくらべてみました。ここは、そこよりもごこがよくて、あんぜんさえします。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
キツネはこうおもいました。
「ここはなんていいところだろう。べたくなったら、そこらじゅうがごちそうだらけだ。いごこちもばっちり。たいときにて、べたいときべられる。きなときにいくらでもべられるんだ。・・・もう、ここにんじゃおうかな。」

キツネはどこにもかずに、ゾウのおなかのなかだけでくらすようになりました。ゾウはきょだいなので、ものはいくらでもありました。ぜんっぜん、かいてきでした!

そうしてがたっていきました。そとかいではすこしずつへんこっていました。りつけるたいようひかりはゾウのたいにふりそそぎ、じわじわとかんそうさせていきました。あつかぜき、たいかぜにさらされて、だんだんとカチコチになっていきました。
キツネがもぐりこんだおしりのところのぐちは、かわいてちぢみ、ちいさくなっていき、とうとうじてしまいました。
まっくらになって、キツネはあせりました。ぐちをさがして、ぐるぐるぐるぐるはしまわりました。でも、つかりません。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
たいかわいていったので、にくもじょじょにかんそうして、もかれてしまいました。
ものがなくなってきました。にくもかたくなってきました。そして、おなかぜんたいがしぼんできました。
キツネにきょうがおそいかかりました。あちらこちらにぶつかりながら、ぐちをさがしましたが、つかりません。
「ああ、ぼくはここからられない。このままんじゃうのかな。」
キツネはおそろしくてぜんしんがさかだちました。

そのころ。そとではあめがふりはじめました。だんだんおおあめになって、まわりはみずびたしになりました。ゾウのたいもぬれて、すいぶんでふやけてきました。たいはふくらんで、おしりのあなのところもやわらかさがもどりました。
おなかのなかくらやみに、きらっとなにかがひかりりました。かみのようなほそひかりのすじが、ゾウのおなかのなかにさしこんだのです。
キツネはそれをつけました。けるや、そのちいさなてんのようなあなをめがけて、とっしんしました。あたまからぶつかって、ぐいぐいとねじむようにおしすすみ、むりやりからだをとおして、さいはずるずると、からだをひきぬくようにしてそとました。
「ああ! たすかった!! そとられたー。」

やっとのことで、そとることができました。でも、そのあなはあまりにも小さいあなだったので、とおるときに、キツネのからだのぜん、ゾウのおしりのあなのところにくっついてしまったのです。

ゾウのおなかにはいったキツネ(ジャータカ 第148話)
キツネはぶんのからだのがぬけてしまって、つるんつるんになったのをて、びっくりぎょうてんしました。
「うひゃあ~。」
キツネはとびあがって、はししました。

しかし、ちょっとはしってから、ぴたりとまりました。
そして、わってしまったぶんのからだをしげしげとました。
キツネはこうかんがえました。
「こんなことになったのは、だれかのせいではない。ほかのなにかのせいではない。これは、ぼくのよくのせいなんだ。よくげんいんで、よくによって、よくのせいで、ぼくがぶんでやったことだ。『べたい』というち、『おいしものをもっともっと』というち、『らくにすごそう』というち、・・・。ぼくはよくちにしたがって、よくちのままにこうどうしたんだ。てきたよくちのうとおりに、ぼくはこうどうしたんだ。
それで、こんなありさまだ。こんなくるしみだ。こんな姿すがたになっちゃった。」

キツネはこえして、こういました。
「ぼくはと、ゾウのからだのなかに入らないぞ。
もうして、ゾウのからだのなかに入らないぞ。
こんなにおそろしいことはこりごりだ。
あまゆうわくいのちりだ。くわばらくわばら。
こんりんざい、よくちとはおさらばだ。」

そのときから、ゾウのたいがあっても、キツネがそれにゆうわくされることはけっしてありませんでした。キツネには、それこうよくちがおこることはなかったということです。

 

 

おはなしのポイント

もしも、わたしたちがこのキツネで、まっくらなおなかのなかめられてこわおもいをし、やっとのことですときに、ぜんけちゃったら、どんなふうにかんがえるでしょうか。
うんわるかった。」とおもうかもしれません。
はいってきたあなかっじたのがわるい。」「うんわるかった。」とおもうかもしれません。
そのかんがかたは、ただしくげんいんけっをとらえていません。
このキツネは、ただしいこうさつかんがかた)をしました。それによって、と、こうにあうことはないように、ぶんみちびいたのです。
このおはなしのキツネは、おしゃさまぜんであったそうです。
しゃさまは、このはなしを、わかたちのためにされました。
しゅぎょうにはげんでいるわかたちにも、ちょっとしたよくちがこることがあります。小さなよくちでも、いったんこると、どんどんとおおきくなって、がつくと、ぶんではコントロールできないところまでふくらんでしまうのです。それで、しゅぎょうつづかなくなってしまうおさんたちもいたようです。
しゃさまは、よくちにけてしゅぎょうができなくなってしまうおさんたちをしんぱいして、かれらのこころから、ぼんのうをとりのぞいてあげるために、このおはなしをされました。

よくちは、さいしょちいさくこっても、「まあいいや」とおもっていると、バイキンのようにはんしょくします。だから、てきたらすぐにづいて、とりのぞかないとあぶないのです。
あまゆうわくいのちり」
よくにのったら、こわーーいけっになる」
とおぼえて、「くわばらくわばら」とはなれることが、あんぜんで、こうふくみちです。

(おしまい)

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