寺子屋スジャータ

02話 スメーダの大望・・・一切知者ブッダになる

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第1部 出家まで 

第1章 ブッダの過去世 

02話 スメーダの大望たいぼう・・・一切知者いっさいちしゃブッダになる

苦行くぎょう実践じっせんをやりとげて、スメーダ行者ぎょうじゃ禅定ぜんじょう(ジャーナ)の至福しふくあじわうことにときをごし、ディーパンカラ(燃燈ねんとう佛陀ブッダのこの世への出現しゅつげんは、まったくらなかった。
ある、ディーパンカラ佛陀は四十万の阿羅漢あらかんをともない、ランマヴァティーて、スダッサナ精舎しょうじゃ滞在たいざいした。このめでたい機会きかいに、ランマヴァティー市のひとびとは世尊せそんちかづき、弟子でしたちとともに翌朝よくあさ朝食ちょうしょく招待しょうたいした。それからかれらは市内しない清掃せいそうかざりつけのような、必要ひつよう準備じゅんびをした。かれらはまた、世尊や弟子たちが市内をとおける道路どうろ修繕しゅうぜんにつとめた。つちあなをふさぎ、大水たいすいのせいでれたところをなおし、でこぼこしたどろ地面じめんをならし、真珠しんじゅのようにしろすなで道路をおおった。
そんなとき、スメーダ行者はいおりから空中くうちゅう浮揚ふようしてそらんでいるあいだに、ランマヴァティー市の人びとが機嫌きげんよく道路の修繕や飾りつけをしているのをた。したなにきているのか、いぶかしくおもって、下降かこうして適当てきとうなところにった。それから、かれはいてみた。
「あなたたちはそんなにたのしそうにねつをこめてみちを直しているけれど、だれのために道を直しているんですか?」
人びとがこたえて、いった。
「ああスメーダ行者さま、この世にディーパンカラ佛陀が出現されました。邪悪じゃあく軍勢ぐんぜい退治たいじされてぜん世界せかい無上むじょうほうであられるのです。わたしたちはかれの方への功徳くどくのために道を直しています」
スメーダ行者が「ブッダ」(目覚めざめたもの)という言葉ことばくやいなや、かれのこころよろこびにちあふれた。かれはこうかんがえた。
(ブッダの出現は、まさに稀有けうにして困難こんなんだ。わたしが世尊にご奉仕ほうしできたら、なんとしあわせだろうか。肥沃ひよく土地とち、すなわちディーパンカラ佛陀に、功徳のすぐれた種子しゅしをまくのは、わたしにとっていまこそ、まさにそのとき、だ)
そして、かれはたずねた。
「ねえ、みなさん、どうかわたしに、なおす道路の一部いちぶ割り当わりあててください! 世尊がきたられるので道を直しているあなたたちの仕事しごとに、わたしも参加さんかしたい」
「それはいい」と、人びとがいった。そしてかれに修繕のむずかしそうなおおきなぬかるみのでこぼこした場所ばしょを割り当てた。すごい神通力じんつうりきをもっている行者なら、やさしいだろう、となしたのである。
そのとき、スメーダ行者はこう考えた。
(わたしの神通力をこの道を直すのに使つかうのはかんたんだ。でも、そうしたら、みんな、あまりくは思ってくれないかもしれない。自分じぶん肉体にくたい労働ろうどうだけで、わたしのつとめをやるべきだ)
スメーダ行者がまだ道路を修繕中、ディーパンカラ佛陀と四十万の阿羅漢がやってきた。神々(デーヴァ)とランマヴァティー市の全市民しみん太鼓たいこらして歓迎かんげいした。そのころ、人間にんげん神々かみがみえ、神々は人間に見えたのである。かれらは世尊をたたえるうたを歌って喜びをあらわした。神々と人びとは、それぞれに楽器がっきかなでた。神々が、曼荼羅華まんだらげ(マンダ―ラヴァ)や蓮華れんげ(パドゥマ)、黒檀こくたん(コーヴィラーラ)のはなのような天上てんじょうの花をいたるところにふりまく一方いっぽう地上ちじょうの人間もまたおなじく、チャンパーやサララじゅ、ムチャリンダ樹、ナーガ樹、プンナーガ樹、ケータキーのようなうつくしく、かぐわしい花々を世尊に献げた。
スメーダ行者は世尊を見てびっくりした。じっとつめると、世尊は偉大いだい(マハー)な人物じんぶつ(プリサ)のしるしであるさんとくしょうはち十のしょう特相をそなえられていた。栄光えいこうたかみにあるブッダのひととなりをまのあたりにしたのである。黄金おうごんかがや身体しんたいからはきらきらと後光ごこうがさし、ろくしょく光線こうせん放射ほうしゃしている。
そのとき、かれはこうめた。
(この泥道どろみち部分ぶぶんの修繕はまだできていないが、世尊はここへちかづいて来られる。彼の方に泥のうえあるかせてしまって、不快ふかいにあわせてはならない。きょう世尊の御前おんまえでわたしのいのち犠牲ぎせいにしよう。世尊と四十万の阿羅漢に、わたしの背中せなかの上をあるいていただき、わたしの身体を道の不快なところをわたはしとしていただこう。そうすることによって、きっとわたしに繁栄はんえい幸福こうふくがもたらされるだろう)
それから、どろどろのぬかるみにかれは投げ出なげだした。そうしているうち、かれの心に、ブッダになる大望たいぼうしょうじた。
(もしわたしがそうのぞむなら、すべての腐敗ふはい病根びょうこん(アーサヴァ))をけ、あらゆる汚染おせん煩悩ぼんのう(キレーサ))をその日まさに根絶こんぜつでき、阿羅漢になる。しかし、ひとりで自己じこ本位ほんい輪廻りんね(サンサーラ)から解脱げだつする利益りえきとは何だろうか? わたしの卓越たくえつした確信かくしん気力きりょく智慧ちえで、一切いっさい智者ちしゃになるために、あらんかぎりの精進しょうじんをしよう。そして、きとしけるものを、輪廻から、うみから、解放かいほうしよう)
人混ひとごみのなかにスミッターというわかいバラモンのむすめがいて、世尊の御前にあつまった人びとにくわわった。世尊に献げようと、八ほんはちすをもってきていた。スメーダ行者がさほどとおくはないところにいるのを偶然ぐうぜんかけた。それは、ちょうど行者がブッダのさとりにたっしようと決心けっしんしているときだった。行者に視線しせんそそぐやいなや、スミッターは突然とつぜんかれへの崇高すうこうあいに心をわしづかみにされた。そのとき五本の蓮を献げて、こういった。
とうとい行者さま、ブッダのさとりにたっするための波羅蜜はらみつ(パーラミー)(訳注:最高さいこう完成かんせい成就じょうじゅする道、特別とくべつ修行しゅぎょうするぜん)をたしているあいだ中、わたしが伴侶はんりょとなってもよろしいでしょうか」
スメーダ行者は蓮をスミッターからった。そしてそれをディーパンカラ佛陀に献げ、一切智者ちしゃのブッダのさとりにたっしますように、といのった。スミッターも、のこっていた三本の蓮を世尊に献げた。
そのとき、ブッダの稀有の出現をじっと見つづけていたすべての人びともまた、ブッダのさとりに達したい、と切望せつぼうしたが、スメーダ行者だけが、それに必要なすべての資格しかくさずかっていた。ディーパンカラ佛陀が、泥の上に身を投げ出しているスメーダ行者のもとに来て、授記じゅき(訳注:ブッダになるという予言よげん)をくちにした。
「ああ比丘びくたちよ、この行者のスメーダは、今から四阿僧祗十万劫しあそうぎじゅうまんこうの間、バラモン、神々、人間にはゴータマという名前なまえばれ、ブッダのさとりに達するための波羅蜜(パーラミー)を満たしたあと、覚者かくしゃとなるであろう」
そして、スメーダ行者とスミッターのあいだに起きた光景こうけいを目にとめていた世尊は、群衆ぐんしゅうなかで「おおスメーダよ、この娘スミッターは、そなたの伴侶となるであろう。らしをともにして、ブッダのさとりに達するために、そなた同様どうよう熱意ねつい行動こうどうでそなたをたすけるであろう」との授記も表明ひょうめいされた。
ディーパンカラ佛陀は授記されたあと、四十万の阿羅漢の弟子とランマヴァティー市へかってすすみはじめたが、スメーダ行者を右側みぎがわたもってすすんだ。同じく神々も人びとも、スメーダ行者にお辞儀して花と香料こうりょうを献げたあと、った。
そのあと、うれしそうにスメーダ行者は投げ出していた身をこし、献げられた花の山の上にすわったが、かれの心はうれしさと幸せでいっぱいだった。十方じっぽうの世界からやってきた神々とバラモンたちは、賞賛しょうさん激励げきれいのこんな言葉を行者にかけた。
「尊い方スメーダさま、つねにはげみ、懸命けんめい奮闘ふんとうされますように! 後退こうたいあるべからず、前進ぜんしんあるのみ! かならずブッダになられることを、わたしたちは、まったくうたがいません」
未来みらいのブッダ(菩薩ぼさつ(ボーディサッタ))スメーダは、ディーパンカラ佛陀の授記の言葉と神々とバラモンたちの激励の言葉によろこんだ。かれはつぎのように考えた。
諸佛しょぶつはあいまいな言葉をかたられない。やくたないことも語らないようになさっている。まちがいだと判明はんめいしたことは絶対ぜったいになかった。きっと、わたしはブッダになるだろう)
それからすぐ、ブッダのさとりには絶対必要なものとして十波羅蜜じゅうはらみつ(ダサパーラミー)があることをくわしく調しらべた。すなわち、①布施ふせ(ダーナ)波羅蜜 ②持戒じかい(シーラ)波羅蜜 ③出離しゅつり(ネッカンマ)波羅蜜 ④(パンニャー)波羅蜜 ⑤精進(ヴィリヤ)波羅蜜 ⑥忍耐にんたい(カンティ)波羅蜜 ⑦真諦しんたい(サッチャ)波羅蜜 ⑧誓願せいがん(アディッターナ)波羅蜜 ⑨慈悲じひ(メッター)波羅蜜 ⑩捨(ウペッカー)波羅蜜-である。
かれはまた、十波羅蜜では、そのすべてを三段階だんかいでやらなければならないとるようになった。すなわち、①外部がいぶ(身体以外いがい)のものを放棄ほうきする、ふつうの波羅蜜 ②そのひと手足てあしを放棄する高度こうどきん小(ウパ)波羅蜜 ③その人の命を放棄する最高の勝義まさよし(パラマッタ)波羅蜜(パーラミー)-である。
これより以降いこう、スメーダ菩薩(ボーディサッタ)は波羅蜜を、幾多いくたの輪廻の中で、生きとし生けるもの幸せのために、修行した。そして最後さいごから二番目ばんめ生存せいぞんでは、かぶとりつてん(トウシタ)に白旗はっき(セータケートゥ)というの神として再生さいせいした。天上のあらゆるたのしみを経験けいけんしながら、ブッダになるのにふさわしいときまで、ながいあいだったのである。

03話へ続く


Episode 2. SUMEDHA’S ASPIRATION TO BECOME AN OMNISCIENT BUDDHA

Having been accomplished in the practice of asceticism, the ascetic Sumedha spent his time enjoying the bliss of jhàna in the forest and was completely unaware of the appearance of the Buddha Dãpaïkara in the world.
One day, the Buddha Dãpaïkara—accompanied by four hundred thousand Arahants—came to the City of Rammavatã and stayed at the Sudassana Monastery. At this auspicious opportunity, the citizens of Rammavatã approached the Blessed One and invited Him and His disciples for the morrow’s meal. Then, they made the necessary preparations such as cleaning and decorating the city. They also attended to mending of the road which the Blessed One and His disciples would pass through to the city. They filled holes with earth, mended the breaches caused by floods, levelled the uneven muddy ground, and covered the road with pearl-white sand.
At that time, the ascetic Sumedha levitated from his hermitage, and while travelling through space, he saw the citizens of Rammavatã engaging cheerfully in road-mending and decorating. Wondering what was going on below, he alighted and stood at an appropriate place. Then, he asked: “You are mending the road so happily and enthusiastically. For whose benefit are you mending the road?”
The citizens answered: “O ascetic Sumedha, there has appeared in this world the Omniscient Buddha Dãpaïkara, who has conquered the five evil forces of Màra, and who is the Supreme Lord of the whole world. We are mending the road for His benefit.”
As soon as ascetic Sumedha heard the word “Buddha”, his heart was filled with joy. He thought: “Rare and difficult, indeed, is the appearance of a Buddha in this world. How fortunate I will be should I be able to render my service to the Blessed One. This is the right moment for me to sow the excellent seeds of merit in the fertile field, namely this Buddha Dãpaïkara.”
He then asked: “O men, please allot me a stretch of the road! I wish to participate in your road-mending work for the Blessed One’s visit.”
“Very well,” said the people, and they allotted him a big, swampy and uneven part of the road which would be difficult to mend; they considered that it would be easy for the ascetic, who had great supernatural powers.
Then, the ascetic Sumedha thought: “I can use my supernatural powers to mend this road easily, but if I do so the people may not think of it highly. I should perform my duties with my own physical labour only.”
When the ascetic Sumedha was still mending the road, the Buddha Dãpaïkara and His four hundred thousand Arahants came along the road. Devas and all the citizens of Rammavatã welcomed them with the beating of drums. At that time, human beings were visible to the devas and the devas were visible to human beings. They expressed their joy by singing songs honouring the Blessed One. Both the devas and the people were playing their respective musical instruments. While the devas strewed celestial flowers such as mandàrava, paduma and kovilàra all over the places, the earth-bound humans also did similarly with the beautiful and fragrant flowers, such as campà, sarala, mucalinda, nàga, punnàga and ketakã, in adoration to the Blessed One.
The ascetic Sumedha was amazed on seeing the Blessed One. He gazed at the Blessed One, who was endowed with the thirty-two marks of a Great Man (Mahàpurisa) and eighty minor marks. He witnessed the Buddha’s personality at the height of glory; His body was as bright as gold, with a brilliant aura and six rays emanating from His body.
Then, he decided: “I have not finished mending this part of muddy road, but the Blessed One is approaching here. I will not let Him tread on the mud and suffer discomfort. I will sacrifice my life in the presence of the Blessed One today. Let the Blessed One with all His four hundred thousand Arahants walk on my back, using my body as a bridge to cross over this unpleasant part of the road. By doing so, long-lasting welfare and happiness will definitely accrue to me.”
Then, he laid prostrate on the murky swamp. And while doing so, there arose in his mind an aspiration to become a Buddha: “If I so desire, I can eliminate all cankers (àsava) and eradicate all defilements (kilesa) on this very day and become an Arahant. But, what is the advantage of selfishly escaping the cycle of births (saÿsàra) alone? With my prowess in faith, energy and wisdom, I will exert my utmost effort for the attainment of Omniscient Buddhahood and liberate all beings from the cycle of births, the sea of suffering.”
Among the crowds, there was a young brahmin maiden named Sumittà, who came to join the people gathering in the presence of the Blessed One. She brought with her eight stalks of lotus for offering to the Blessed One. At a place not too far from where she was standing, by coincidence, she saw the ascetic Sumedha, who was making his resolution to attain Buddhahood. As soon as her eyes fell on the ascetic, she was seized with a sudden great love for him. Then, she offered him her five stalks of lotus, saying: “Venerable ascetic, may I be your partner throughout the period you are fulfilling the Perfections for Buddhahood.”
The ascetic Sumedha accepted the lotus stalks from Sumittà. And while he offered them to the Buddha Dãpaïkara, he prayed for the attainment of Omniscient Buddhahood. Sumittà also offered the remaining three stalks to the Blessed One.
At that time, all the people, contemplating the rare appearance of a Buddha, also aspired to Buddhahood, but only the ascetic Sumedha was fully endowed with all the required qualifications for that attainment. The Buddha Dãpaïkara came towards the ascetic Sumedha, who was lying on the mud and uttered His prophecy: “O bhikkhus, this Sumedha the ascetic will become an Enlightened One among brahmàs, devas and human beings by the name of Gotama after fulfilling his Perfections (Pàramã) for four incalculable ages and a hundred thousand aeons from now.”
And observing the scene that had taken place between the ascetic Sumedha and Sumittà, the Blessed One declared a prophecy in the midst of the multitude: “O Sumedha, this girl Sumittà will be your partner. She will share life with you, assisting you with equal fervour and deed for your attainment of Buddhahood.”
After the Buddha Dãpaïkara declared His prophecy, He and His four hundred thousand Arahant disciples proceeded to the City of Rammavatã, keeping the ascetic Sumedha on their right. So did the devas and the people depart after paying obeisance to the ascetic Sumedha and honouring him with flowers and scents.
Thereafter, the ascetic Sumedha rose joyfully from his prostrate position and sat down on a huge pile of flowers that were strewn in his honour, his mind suffused with joy and happiness. The devas and brahmàs, who had come from the ten thousand worlds, spoke words of praise and encouragement to the ascetic: “Noble Sumedha, strive on earnestly with constant diligence! There should be no retreat. Proceed with endeavour! No doubt in us that you will certainly become a Buddha.”
The Buddha-to-be (Bodhisatta) Sumedha was delighted with both the prophetic words of the Buddha Dãpaïkara and the encouraging words of the devas and brahmàs. He reflected thus: “Buddhas are not speakers of ambiguous words, nor are they given to speaking of futile things. Never have their words been proved wrong. Surely, I will become a Buddha.”
Then, he investigated that there were the Ten Perfections (Dasa Pàramã) which were essential for Buddhahood, namely: (i) perfection of alms-giving (dàna), (ii) perfection of morality (sãla), (iii) perfection of renunciation (nekkhamma), (iv) perfection of wisdom (paññà), (v) perfection of energy (viriya), (vi) perfection of forbearance (khanti), (vii) perfection of truthfulness (sacca), (viii) perfection of resolution (adhiññhàna), (ix) perfection of loving-kindness (mettà), and (x) perfection of equanimity (upekkhà).
He also came to know that the Ten Perfections had to be performed in all three stages, namely: (i) giving up external things is an exercise of the Ordinary Perfection (Pàramã), (ii) giving up one’s limbs is an exercise of the Higher Perfection (Upapàramã), and (iii) giving up one’s life is an exercise of the Highest Perfection (Paramattha Pàramã).
From then onwards, the Bodhisatta Sumedha exercised the Perfections in his many rounds of existence for the welfare of all beings. And in his penultimate life, he was reborn as a deva in the Tusita Heaven by the name of Deva Setaketu. He was enjoying all the pleasure of celestial life for a long time waiting the right time to become a Buddha.

To be continued南伝ブッダ年代記

アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

詳しく見る

ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

詳しく見る

著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
ページトップへ