寺子屋スジャータ

04話 生地ルンビニー・・・・菩薩降誕

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第1部 出家まで 

第2章 生誕

04話  生地せいちルンビニー・・・・菩薩ぼさつ降誕ごうたん

懐妊かいにんから十か月じっかげつたったころ、王妃おうひ親族しんぞくのいるデーヴァダハへ里帰さとがえりしたいという気持きもちにられた。インドではその当時とうじ出産しゅっさん実家じっかでするのがならわしだった。里帰りのゆるしをもとめて、スッドーダナおうにこういった。
「おお偉大いだいなるおうさま、わたしはちちみやこデーヴァダハへきとうございます。わたしのあかちゃんが、いまにもまれそうでございますから」
王はこれを承認しょうにんし「たいへん、けっこうなことだ。そなたのたび十分じゅうぶん準備じゅんびめいじよう」と、いった。
王は近衛このえ従者じゅうしゃたちに、カピラヴァットゥからデーヴァダハにいたみちをきれいにととのえ、なおし、はたのぼりかざるようにめいじた。王家おうけ家来けらいたちには、王妃をあたらしい黄金おうごん輿こしせて、大勢おおぜいのお供をれていくようにさせた。このように王妃は、王の命じた絢爛けんらん豪華ごうかな準備のもと、デーヴァダハへおくされた。
さて、王妃の旅の行列ぎょうれつはカピラヴァットゥとデーヴァダハの中間ちゅうかんにあるルンビニーえんというサーラじゅ原注げんちゅう:ラテン語Shoreaショレア robustaロブスタ沙羅さら)のはやしにさしかかった。ここは釈迦しゃか、コーリヤりょう王国おうこくひとびとが行楽こうらくのためにしばしばおとずれるところだった。そのなつのあいだちゅう、ルンビニー園のどのサーラ樹のどこのえだにも、あわ黄色きいろのちいさなはながびっしりいちめんいていた。
五色ごしきのミツバチのれがサーラ樹の花のまわりをブンブンびまわり、たくさんの種類しゅるいとりたちはあま調しらべでうたうようにさえずっていた。サーラ樹の花のかぐわしいかおりはルンビニー園のあらゆる方向ほうこうへひろがり、まるでみんなに、そのうつくしさをにきてたのしんでください、とさそっているかのようだった。そうしたすべてが園全体ぜんたいかみ々の王である帝釈天たいしゃくてんのチッタラター園のようにせているのだった。
輿が園の中をとおっているとき、マハーマーヤーはそのみごとなながめを見て、すこ休憩きゅうけいして、サーラ樹のすずしい木陰こかげでしばらく眺めをたのしみたくなった。黄金の輿からりて、林をそぞろあるいた。花が満開まんかいのサーラ樹のもとで、王妃は枝のひとつをつかむため右手みぎてをさしのべた。ふしぎな出来事できごとおおくのものたちのこころつようごかしたのだが、まっすぐの枝がひとりでにとうくきのようにがって王妃ののひらにまでとどいたのである。まさにその瞬間しゅんかん、王妃は分娩ぶんべん陣痛じんつうかんじた。侍女じじょたちはいそいでまくけ、まわりにいて、周囲しゅういをさえぎった。かくして王妃はサーラ樹の枝をしっかりにぎりしめているうちに、ったままの姿勢しせい男の子おとこのこを出産した。紀元前きげんぜん623ねん、ウェーサーカーつき現代げんだいれき五月ごがつごろ)の満月まんげつだった。
きよらかなあたたかいみずつめたい水のふたつの噴水ふんすいがほとばしって、そらからりそそぎ、礼讃らいさんのしるしとして、すでに清らかできれいな菩薩(ボーディサッタ)と母親ははおやのからだのうえちた。
そのとき菩薩(ボーディサッタ)はしっかり自分じぶんあしち、十方向を調べ、菩薩(ボーディサッタ)よりすぐれたものはだれもいないことを確認かくにんした。それからすぐに、きたいて、ななまえあゆんだ。足跡あしあとくたび、その地面じめんの上に、ハスの花が一りんずつあらわれた。
菩薩(ボーディサッタ)は七歩まり、右手を頭上ずじょうげ、なにものをもおそれず、咆哮ほうこうした。

“Aggo’haṃasmi lokassa! (アッゴーハマスミ ローカッサ)
Jeṭṭho’haṃasmi lokassa! (ジェットーハマスミ ローカッサ)
Seṭṭho’haṃasmi lokassa! (セットーハマスミ ローカッサ)
Ayaṃantima jāti! (アヤマンティマ ジャーティ)
Natthi dāni punabbhavo!” (ナッティ ダーニ プナッバヴォー)
「わたしは、この世の頂点ちょうてんに立ってしまった!
わたしは、この世のさい長老ちょうろうになってしまった!
わたしは、この世でもっとすぐれたものになってしまった!
これが最後さいごしょうである!
もはや二度にどまれることはない!」

菩薩降誕ぼさつごうたん同時どうじに、ななつの存在そんざいがこの世に誕生たんじょうした。ヤソーダラー王女おうじょ将来しょうらいつまでラーフラのはは)、アーナンダ王子おうじ御者ぎょしゃチャンナ、大臣だいじんカールダーイー、王家のうまカンタカ、菩提樹ぼだいじゅよっつの宝瓶ほうびょう (ニディクンバー)、である。
男の子の生誕せいたん、マハーマーヤー妃と菩薩はカピラヴァットゥにかえった。この吉報きっぽうをきいて、スッドーダナ王はとても幸福こうふくだった。カピラヴァットゥのすべての人びととともに、王は新王子しんおうじを、歓喜かんきしてむかえたのであった。

第5話へ続く

※ 画像やテキストの無断使用はご遠慮ください。/  All rights reserved.


Episode 04. THE BIRTH OF THE BODHISATTA IN Lumbinī

When the age of her pregnancy was ten months old, the queen felt an urge to visit Devadaha, the city of her royal relatives. It was the custom in India at that time for a wife to give birth in her father’s house. She asked for permission from King Suddhodana, saying: “O great king, I wish to go to Devadaha, the city of my father. My baby is about due now.” The king gave his assent, saying: “Very well, I will have adequate preparations made for your journey.”

 

The king ordered the soldiers of royal attendants to clean up, repair and decorate the roads from Kapilavatthu to Devadaha with flags and banners. He had the queen seated on a new golden palanquin carried by royal servants and accompanied by a large retinue. Thus, the queen was sent off by the king to Devadaha with pomp and grandeur.

 

Now, the royal procession was passing through a pleasure grove of sāla (Shorea robusta) trees, called the Lumbinī Park, situated between Kapilavatthu and Devadaha. This park was frequented by people from both kingdoms for recreation. During that summer, every sāla tree in the park was blooming all over the branches.

 

Swarms of honeybees in five colours were humming around the flowers of the sāla trees, and birds of many species were chirping sweet melodies. The fragrance of the sāla flowers was spreading to all directions of the park, as if inviting everyone to come and enjoy its beauty. All that made the whole park seem like the Cittalatā Garden of Sakka, the king of devas.

 

As the palanquin was passing through the park, Queen Mahāmāyā saw its splendour and felt a desire to take a rest and amuse herself for a while in the cool shade of the sāla trees. Alighting from her golden palanquin, she walked about the grove. Under a fully blooming sāla tree, she outstretched her right hand to grasp one of its branches. A marvelous event stirred up the minds of many as the straight branch bent down by itself like a cane stalk until it reached the queen’s palm. At that very moment, she felt the pangs of child birth. Her attendants hastily cordoned off the area with curtains and withdrew. Thus, while holding on to the branch of the sāla tree, she delivered a baby boy in a standing position. It was on the full-moon day of Vesākha, in the year 623 B.C.

 

Two fountains of pure spring water, warm and cold, showered down from the sky and fell on the already pure and clean bodies of the Bodhisatta and the mother as a token of homage.

 

Then, the Bodhisatta stood firmly on his feet and examined the ten directions, seeing no one superior to him. Thereupon, he faced northward and took seven steps forward, with a lotus flower appearing on the ground under each of his footsteps.

The Bodhisatta halted at the seventh step, raising his right hand
over his head and made a fearless roar:

“Aggo’haṁ asmi lokassa!
Jeṭṭho’haṁ asmi lokassa!
Seṭṭho’haṁ asmi lokassa!
Ayaṁ antima jāti!
Natthi dāni punabbhavo!”

“I am the most superior in the world!
I am the greatest in the world!
I am the most exalted in the world!
This is my last birth!
There is no more rebirth for me!”

At the same time as the birth of the Bodhisatta, there also came into existence seven other beings. They were: Princess Yasodharā (his future wife and mother of Rāhula), Prince Ānanda, his charioteer Channa, Minister Kāḷudāyī, his royal horse Kanthaka, the Bodhi tree and four treasure pots (Nidhikumbhī).

 

As the baby son had been born, Queen Mahāmāyā and the Bodhisatta returned to Kapilavatthu. Having heard this good news, King Suddhodana was very happy. Together with all the citizens of Kapilavatthu, he greeted the new prince with great rejoicing.

To be continued

※ 画像やテキストの無断使用はご遠慮ください。/  All rights reserved.南伝ブッダ年代記

アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

詳しく見る

ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

詳しく見る

著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
ページトップへ