寺子屋スジャータ

13話 四番目の予兆

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第1部 出家まで 

第4章 重大な前ぶれ

南伝ブッダ年代記

シッダッタ王子おうじきこもって、外出がいしゅつのときにみっつの光景こうけいについてものおもいにふけることがさらにおおくなった。あまりになんかんがえたので、ついにはひとびとがまれ、いて、病気びょうき圧迫あっぱくされ、最後さいごんでしまうことを完全かんぜん把握はあくした。そういうわけで、生命せいめい性質せいしつについてひろ判断はんだんりょく獲得かくとくした。生命の連鎖れんさからだれのがれることができないことに王子はづいたのだ。しかしそれをるだけでは満足まんぞくせず、まだ見ていない生命のべつ側面そくめんについて、もっとりたい、というつよ好奇こうきしんがあった。このようなすべてのおそろしい現象げんしょうりこえるみち絶対ぜったいにない、などとは、王子は受け入うけいれなかったのだ。
一方いっぽう、王子が三つの光景についてかんがえることから心をそらすようにと、スッドーダナおうはどんなときにもたくさんの娯楽ごらく手配てはいした。それはさんか月かん、ずっとつづいた。しかし好奇心から知りたがり、もの思いにふけりがちな王子の性格せいかくは、そうした娯楽でかんたんに左右さゆうされないほど、そのときまでに生命の理解りかいがすでにひろくなっていた。
四か月、またも王子は父王ふおう願い出ねがいでて、宮殿きゅうでんをはなれて王立おうりつ庭園ていえん見物けんぶつかける許可きょかをもとめた。生命の別のめんるためである。王には、王子の礼儀れいぎただしいねがいを拒絶きょぜつする理由りゆうが、もはやなかった。
その幸先さいさきのよい、王子はチャンナをお供にして王立庭園にかけた。カピラヴァットゥのみやことおけてったが、まち活気かっきにあふれ、いくつかあたらしいみせ開店かいてんしていた。王国おうこく経済けいざい発展はってんし、人びとの生活せいかつ繁栄はんえいしているのがわかり、王子は幸福こうふくだった。街のらしでちがいなものは何一なにひとつないとかんじながら、王立庭園までのみちのりを王子はあるいた。
王立庭園はこの日とてもうつくしくえた。木々きぎにははなき、がなって、庭園に魅力みりょくある印象いんしょうえ、うつくしさを引きたたせている。やわらかいさわやかな微風そよかぜき、小鳥ことりたちがつぎつぎにさえずっている。まるでみんなに、そのごえ調しらべの美しさをたのしむためにきてください、と招待しょうたいしているかのようだった。こうしたすべてが庭園の雰囲気ふんいき生気せいきあたえ、いのちを吹きこんでいた。
王子がすわって庭園をたのしんでいる最中さいちゅうあたまひげをきれいにったおとこが、はるかこうからやってくるのが見えた。ればれとしたかおで、おだやかな表情ひょうじょうをしている。ほかのものているようなものではなくのサフランしょくのゆったりしたそとごろもをまとい、心身しんしんのはたらきがみごとに制御せいぎょされているらしく、ひっそり歩いているのだ。このすばらしい風景ふうけいに王子はびっくりし、男を注意深ちゅういぶか観察かんさつして、いったいどういう人なのだろうか、とおもった。
好奇心から、お供の御者ぎょしゃにきいた。
「チャンナよ、ご覧! あのかたは、ほかの人とちがうよ。きれいに頭と髭を剃っている。サフラン色の外衣を着て、托鉢たくはつわんっている。晴ればれとして感じのよい穏やかな顔をしている。ひっそりあるき、視線しせん下方かほういて、伏し目ふしめがちだ。おおチャンナよ、あの方は誰なんだ?」
殿下でんか、僧でございます」とチャンナがこたえた。
王子はおどろいて、つづけてきいた。
「僧? いったい『僧』って、どういう意味いみなんだ?」
「僧とは家庭かてい生活をはなれた者でございます。献身けんしんのしるしにサフラン色の外衣をまとっております。心のなかではつねに功徳くどくある行為こういをしようと思っておりまして、それはなぜかというと、非難ひなんするところがない、とっているからでございます」と、チャンナは説明せつめいした。
シッダッタ王子は、僧とはほんとうにどんなものか知りたい、とりたてられるような思いを感じた。王子には、この僧はほかの者たちとちがって立派りっぱ品格ひんかくがあるように見えたのだ。チャンナのみじかい説明ではものりず、満足できなかった。そこで、王子は立ち上たちあがり、僧にちかづいて、このようにきいた。
「そこの方、おかけしたあなたの姿すがたは、ほかの人とちがいます。頭がほかの人のようではありません。衣もまたほかの人のようではない。あなたは、どういう方なのですか?」
「殿下、わたしは僧でございます」
王子はとても驚いた。変装へんそうしているにもかかわらず、きいた者が誰なのか、この僧は知っているのだ。ともあれ、つづけてきいてみた。
「どうか、わたしに、もっとはなしてください! 僧とは、どういう意味なんでしょうか?」
「わたしは、在家ざいけの生活から外に出家しゅっけした者です。かみと髭をりおろして、サフラン色の外衣をまといました。この世のすべての不幸ふこうこす生まれ、老い、やまいい、、を乗りこえるくすりさがすために、この世の快楽かいらくてたのです。この世のから解脱げだつする道をさがしていて、あらゆる有情うじょうしあわせの増大ぞうだいのためにはたらいています」
王子は好奇心にられて、さらにきいた。
「それで、どのようにきていらっしゃるのですか? どこにおまいか? あなたはとても幸福そうにえる。生命の性質へのなやみはないようだ。なぜですか?」
「わたしははやしの中にいるか、あるいは僧院そういんにいることもあります。そして信仰しんこう心のあつ家々いえいえに、乞食こつじきのための托鉢に、毎日まいにちまわります。お布施していただいた食べ物で、わたしのいのちをやしなっています。かぎられたちものと必要ひつようなもので満足し、簡素かんそに生きています。道をわきまえているので、わたしは幸福で、生命の性質の悩みはありません。土地とちから土地へ行って、人びとに、どのようにして幸福な人生じんせいきるかをおしえることに、わたしのいのちをささげています。きものをいじめず、ぜん行為をして、心をきよらかにするのです」
僧とはどんなものか、このように説明してくれたのである。

息子むすこラーフラの誕生たんじょう

立派で品格ある僧にって、王子はとても幸福だった。僧が説明してくれたように、みじめな生命を乗りこえるしんの道がある、と知ったからだ。宮殿にもどるかわりに、その日を庭園でしずかにごしつづけた。王子の心は、僧になってきれいで清らかな生き方いきかたをする、という考えでいっぱいになった。
王子がすずしい木陰こかげしたに坐って僧になるという考えを反芻はんすうしている最中に、スッドーダナ王から使者ししゃがきて、つぎのようにらせた。
「殿下、よきお知らせをお持ちしました。おきさきさまが、かわいい男の子を出産しゅっさんされた、とご承知しょうちおきくださいませ」
よろこびをせるどころか、王子はその知らせをきいて、幸福ではなかった。そしてことばすくなく、このようにいった。
障礙しょうげ(rāhu(ラーフ))がわたしに生まれた。おおきな束縛そくばくがわたしにしょうじた」
それは障礙だった。なぜなら王子は家族かぞくあいし、あたらしく生まれた息子を愛しているのだから。家族と息子への愛着あいちゃくは、僧になるとめたその決意けついかたさのさまたげになる、と王子は考えたからである。
知らせをけたとき王子がはっしたことばを知って、スッドーダナ王はあかちゃんに「ラーフラ」とづけた。

キサー・ゴータミーひめ歓喜かんき恋歌こいうた真珠しんじゅくびかざり

宮殿への帰り道かえりみち、シッダッタ王子は釈迦しゃかぞくのキサー・ゴータミー姫の邸宅ていたくとおりかかった。姫は魅力と美貌びぼう持ち主もちぬしだった。ちょうどそのとき、姫は邸宅のテラスのうえにいて、王子が通りがかるのを見ていた。わかく、外見がいけんすぐれ、ちついた王子の容姿ようしに、姫は感銘かんめいをうけた。たいへん感激かんげきし、姫の心には歓喜のなみ押し寄おしよせた。みなぎる思いのままに、姫は幸福かんを恋歌で表現ひょうげんしたのだった。

やすらぎと幸福は まさに幸運こううんははのこころ
やすらぎと幸福は まさに幸運な父のこころ
やすらぎと幸福は まさに幸運なむすめのこころ
そんな娘のおっとになるお方は かくのごときかれ

この歓喜の恋歌をきいて、そのような人物じんぶつが母や父、つまあたえるやすらぎと幸福の光景を王子はおもえがいた。それはつか、たまゆらの幸福にぎない、と王子は気づいていた。もし、情熱じょうねつほのお憎悪ぞうおの炎、妄想もうそうの炎、そしてうぬぼれ、邪見じゃけんなどの心のよごれが消滅しょうめつしたなら、そのときひとは真の幸福と真の心のやすらぎを経験けいけんするであろう、と。キサー・ゴータミー姫が感じのよいことばでべたやすらぎの要素ようそは、すべての苦の滅尽めつじんによって真実しんじつになるだろうと。それは、まるで王子が滅尽の要素「寂静じゃくじょう(ニッブティ)」を探求たんきゅうしにくことをまた思い起おもいおこさせるかのようだった。
王子はそのときじゅう万金まんきん価値かちのあるうつくしい極上ごくじょうの真珠の首かざりを首からはずして、感謝かんしゃのしるしに姫に与え、贈り物おくりものにした。こうして王子は、永遠えいえんのやすらぎと幸福である「涅槃ねはん(ニッバーナ)」を探求するために、僧になる決意を、さらにかためたのである。
しかしキサー・ゴータミー姫はまちがった印象をもってしまった。シッダッタ王子がすてきな贈り物をくれたのは、姫にがあるからだ、とかんちがいして大喜おおよろこびびしたのである。

第14話へ続く


南伝ブッダ年代記

Episode 13.  THE FOURTH GREAT OMEN: A MONK

Prince Siddhattha secluded himself more often, contemplating the three sights he had seen during his tours. He thought about them so many times that in the end he fully comprehended that people are born, grow to old age, are oppressed by sickness, and will eventually be dead. Thus, he obtained a wider understanding on the nature of life. He noticed that no one could escape from this chain of life. But not being satisfied only to know this, he was very curious to know more about the other sides of life that he might not have seen yet. He did not accept that there was absolutely no way to overcome all these terrible phenomena.

In the mean time, King Suddhodana always arranged for many enjoyments for the prince to distract his mind from thinking of the three sights. It went on this way for a few months. But, the inquisitive and contemplative character of the prince was not easily swayed by those entertainments as by now he already had such an extent of understanding of life. After four months, once again he approached his royal father asking for his permission to leave the palace for a pleasure trip to the royal garden to see another aspect of life. The king had no more reasons to reject his son’s polite request.

On that auspicious day, the prince, accompanied by Channa, went out to the royal garden passing through the City of Kapilavatthu. He noticed that the city was abuzz with more activities, with some new shops being opened. The prince was happy to learn that the economy of his kingdom was developing and that the people’s prosperity rose. Not sensing anything out of place in the city life, the prince continued his trip to the royal garden.

The royal garden looked very beautiful that day. Trees were blossoming with flowers and fruits as if adorning and beautifying the surroundings. The soft and fresh breeze was blowing while birds were chirping one after another, as if inviting everyone to come and enjoy the beauty of their melody. All this made the atmosphere of the garden so inspiring.

While the prince was sitting and enjoying the garden, he saw a man with a clean shaven head and beard coming from afar, his face bright and calm. He donned a saffron-coloured robe unlike those worn by others, and he was walking quietly with his faculties well-controlled. This wonderful scene so amazed the prince that he watched that man attentively and wondered what he was known as.

Being curious, he asked his charioteer: “Channa, look! That man is not like others. He has a clean shaven head and beard. He wears saffron-coloured robes and carries an alms-bowl in his hands. His face is bright, pleasant-looking and calm. He walks quietly, and his eyes are cast downwards. O Channa, who is he?”

“Your Majesty, he is a monk,” Channa replied.

The prince was astonished and continued asking: “A monk! What is meant by a ‘monk’?”

“A monk is a man who has left the family life. He puts on saffron-coloured robes as a symbol of sacrifice. He bears in his mind always to do meritorious deeds because he knows it is blameless,” Channa answered.

Prince Siddhattha felt an urge to learn more what a monk really is. To him, a monk looked admirable and noble, unlike others. The prince was not satisfied with the short explanation given by Channa. He then stood up and approached the monk. The prince asked him: “O man, your appearance is different from those of others; your head is unlike the heads of others; your clothes are also unlike the clothes of others. Who are you?”

“Your Majesty, I am a monk,” the monk replied.

The prince was quite surprised that the monk knew who he is though he was dressed in disguise, but he continued asking anyway: “Please tell me more! What do you mean by ‘a monk’?”

The monk explained: “I am one who has gone forth from household life. Having shaved off my hair and beard, I put on saffron-coloured robes. I have given up all worldly pleasures in order to seek the medicine for overcoming birth, old age, sickness and death, all of which cause unhappiness. I seek the way of deliverance from worldly suffering, and I work for the promotion of welfare for all sentient beings.”

Inquisitively, the prince asked him further: “And, how do you live? Where do you stay? You look so happy without worrying the nature of life. Why?”

“I may stay in the forest or in a monastery, and I go on alms-round for receiving alms-food offered by devout families everyday. With this alms-food, I can sustain my life. Satisfied with limited properties and needs, simply I live; I am happy and have no worry of the nature of life because I have realised the way. I dedicate my life by going from place to place to teach people how to live a happy life by abstaining from ill-treating living beings, performing good deeds and purifying the mind,” the monk described.

 

The Birth of the Prince’s Son—Ràhula

The prince was very happy to see the admirable and noble monk. He knew that there was a true way for overcoming the misery of life as what the monk had described. Instead of going back to the palace, he continued spending that day in the garden quietly. His mind was occupied with thoughts of a clean and pure way of life by becoming a monk.

While the prince was sitting under a cool shady tree and reflecting the idea of becoming a monk, a royal messenger sent by King Suddhodana came to him and said: “Your Majesty, I come with good news for you; may you know that your wife has given birth to a lovely baby boy.”

Instead of showing delight, the prince was unhappy to hear the news and he remarked: “An obstacle (ràhu) has been born to me; a great bondage has arisen to me (Ràhulajàto, bandhanaÿ jàtaÿ)!” It was an obstacle because he loved his family and his son, the newborn. He thought that attachment to his family and son would hinder his intention to be a monk as what he had decided. Knowing what the prince had uttered when he received the message, King Suddhodana then named the baby “Ràhula”.

 

Kisà Gotamã’s Verse of Joy and the Pearl Necklace

On the way back to the palace, Prince Siddhattha passed by a mansion of a Sàkyan Princess named Kisà Gotamã, who possessed charm and beauty. At that time, she was on the terrace of her mansion and she saw the prince passing by. She was impressed by the appearance of the prince, who was young, good looking and calm; she felt very delighted and her heart was inundated with joy. Spontaneously, she expressed her happiness:

“Nibbutà nåna sà màtà

Nibbutà nåna so pità

Nibbutà nåna sà nàrã

Yassà’yaü ãdiso patã

 

“Peaceful and happy indeed is the mind of a fortunate mother.

Peaceful and happy indeed is the mind of a fortunate father.

Peaceful and happy indeed is the mind of a fortunate woman

Who has become the wife of such a husband as he.”

 

Hearing the verse of joy, the prince reflected that the sight of such a personality would give peace and happiness to the mother, the father and the wife. The prince recognised that it was only temporary happiness. Only if the fire of passion, the fire of hatred, the fire of delusion and defilements such as conceit, wrong views, etc. were extinguished, would then one experience the true happiness and the true peace of mind.

Princess Kisà Gotamã has mentioned pleasant words about the element of peace which would become true by the extinction of all sufferings, as if reminding the prince to go in search the element of extinction, “nibbuti”. The prince then took off an exquisite pearl necklace worth one hundred thousand from his neck and presented it to her as a token of appreciation. Thus the prince became more firm with his determination to become a monk to search for eternal peace and happiness, “Nibbàna”. However, Kisà Gotamã had the wrong impression; she was overjoyed with the thought that Prince Siddhattha had sent her the lovely present because his mind was inclined to her.

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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