寺子屋スジャータ

29話 最初の比丘集会・・・諸ブッダの教え

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第3部 法輪を転じる~伝道布教へ

第2章 サンガ(僧団)

29話  最初の比丘集会・・・諸ブッダの教え

南伝ブッダ年代記

マーガ月(現代暦の二月ごろ)の満月の日に、世尊は遍歴行者ディーガナカに、教えと三帰依で授戒された。この日はまた、サーリプッタ尊者が阿羅漢に達したのと同じ日であった。まさにその日のたそがれ前に、世尊はギッジャクータ山から竹林精舎に降りてこられた。

夜になって、満月の明るい月の光の下で、次の四つの特徴のある大集会(四特色集会(チャートゥランガサンニパータ))が起きた。

 

1. 集会は、マーガ月の満月の日に行われる。

2. 千二百五十人の比丘は、事前の招きなしに、竹林精舎に集まる。

3. かれらはすべて六神通をもった阿羅漢である。

4. かれらはすべて「来たれ、比丘たちよ(善来比丘(エーヒ ビック))」と呼ばれる。

なぜなら世尊みずから授戒されたからである。

 

この集会で世尊は、サーリプッタ尊者に世尊の右側に位置する人として、モッガラーナ尊者に世尊の左側に位置する人として、それぞれに第一弟子の称号を与えた。

そのとき、世尊は教えを与えるちょうどよい機会を見いだされ、教誡(オーワーダ) 波羅提木叉(パーティモッカ)を高らかに説かれた。それは世尊の教えの真髄を代表するもので、次の三つの偈からなっている。

 

Khantīカンティー paramaṃパラマン tapoタポー titikkhāティティッカー

Nibbānaṃニッバーナン paramaṃパラマン vadantiワダンティ Buddhāブッダー

Na hi pabbajitoパッバジトー parūpaghātīパルーパガーティー

Samaṇoサマノー hotiホーティ paraṃパラン viheṭhayantoヴィヘータヤントー

“忍耐・忍辱にんにくは最上の修行である。

涅槃は至高のものと諸ブッダは説きたもう。

他人を害する人は出家者ではない。

他人を悩ます人は沙門(修行者)ではない。”

 

 

Sabbapāpassaサッバパーパッサ akaraṇaṃアカラナン

Kusalassaクサラッサ upasampadāウパサンパダー

Sacittapariyodapanaṃサチッタパリヨーダパナン

Etaṃエータン buddhānaブッダーナ sāsanaṃサーサナン

 

“一切の悪行為を行わないこと        (諸悪莫作しょあくまくさ

善に到る(善行為を行う)こと     (衆善奉行しゅぜんぶぎょう

みずからの心を清めること            (自浄其意じじょうごい

これが諸ブッダの教えである。     (是諸仏教ぜしょぶっきょう

・・・・訳注:『七仏通誡偈しちぶつつうかいげ』と称される”

 

Anūpavādoアヌーパワードー anūpaghātoアヌーパガートー

Pātimokkheパーティモッケー caチャ saṃvaroサンヴァロー

Mattaññutāマッタンニュター caチャ bhattasmiṃバッタスミン

Pantañcaパンタンチャ sayanāsanaṃサヤナーサナン

Adhicitteアディチッテー caチャ āyogoアーヨーゴー

Etaṃエータン buddhānaブッダーナ sāsanaṃサーサナン

ののしらず、そこなわず、

波羅提木叉はらだいもくしゃ(戒律)においておのれを護り、

食事について適量を知り、

辺地でひとりし、

心について精勤する、

これが諸ブッダの教えである。”

 

世尊は、伝道布教の最初の二十年(第一菩提時(パタマボーディカーラ))のみ、教誡(オーワーダ) 波羅提木叉(パーティモッカ)を復誦された。それから、修行規則(学処(シッカーパダ))を定めはじめたとき、世尊は復誦をやめられた。世尊は、弟子たちに二週間に一回、布薩(ウポーサタ)の日ごとに戒律(ヴィナヤ)を復誦するよう教えられた。その戒律は統治(アーナー) 波羅提木叉(パーティモッカ)と呼ばれた。

今日では、わたしたちは毎年、マーガ月の満月の日に、この行事をマーガ供養として守り、記念している。(訳注:布薩ふさつとは、サンガに所属する比丘らが、月二回、新月と満月の日に集まり、具足戒〈波羅提木叉〉の戒本を読み上げ、違反していないか確認し、反省・懺悔する儀式)

30話へ続く

※ 画像やテキストの無断使用はご遠慮ください。/  All rights reserved.


南伝ブッダ年代記

Episode 29

THE FIRST CONGREGATION OF BHIKKHUS

It was on the full-moon day of Māgha when the Blessed One confirmed the wanderer Dīghanakha in His Teachings and in the Triple Refuge. It was also the day that the Venerable Sāriputta attained Arahantship. On the very day, before dusk, the Blessed One descended from Mount Gijjhakūṭa to the Veḷuvana Monastery.
In the evening, under the bright rays of the full-moon, there occurred a great congregation (cāturaṅgasannipāta), characterised by these four features:

1.      The congregation took place on the full-moon day of Māgha (about February).
2.      One thousand two-hundred and fifty bhikkhus assembled in the Veḷuvana Monastery without prior invitation.
3.      They were all Arahants who possessed the Sixfold Higher Knowledge (Chaḷabhiññā).
4.      They were all called Ehi-Bhikkhus because they were ordained by the Blessed One Himself.

At this congregation, the Blessed One conferred the title of chief disciples (aggasāvaka) on the Venerable Sāriputta as His Right Flanker and the Venerable Moggallāna as His Left Flanker.
Then, finding the right occasion to give instruction, the Blessed One proclaimed the Ovāda Pātimokkha, which represented the essence of His Teachings, in the following three verses:

“Khantī paramaṁ tapo titikkhā
Nibbānaṁ paramaṁ vadanti Buddhā
Na hi pabbajito parūpaghātī
Samaṇo hoti paraṁ viheṭhayanto”

“Forbearance is the moral practice most excellent.
Proclaims the Buddha: ‘Supreme is Nibbāna!’
He who still injures or kills others is not one who has gone forth.
He who harms others is not a noble recluse.”

“Sabbapāpassa akaraṇaṁ
Kusalassa upasampadā
Sacittapariyodapanaṁ
Etaṁ buddhāna sāsanaṁ”

“Not to do any evil,
To cultivate meritorious deeds,
To purify one’s mind,
This is the Teaching of all Buddhas.”

“Anūpavādo anūpaghāto
Pātimokkhe ca saṁvaro
Mattaññutā ca bhattasmiṁ
Pantañca sayanāsayaṁ
Adhicitte ca āyogo
Etaṁ buddhāna sāsanaṁ”

“To speak no ill and harm no one,
To observe the monastic discipline carefully,
To be moderate in food,
To associate with places of seclusion,
To practice advanced meditation,
This is the Teaching of all Buddhas.”

The Blessed One recited the Ovāda Pātimokkha only in the first twenty years of His ministry (Paṭhama Bodhi Kāla). Then, when He started laying down training rules (sikkhāpada), He stopped reciting it. He instructed His disciples to recite the Vinaya Disciplinary Rules, called the Āṇā Pātimokkha, once every fortnight on Uposatha days. Today, we commemorate this event by observing the Māgha Pūjā on the
full-moon day of Māgha every year.

To be continued

※ 画像やテキストの無断使用はご遠慮ください。/  All rights reserved.南伝ブッダ年代記

アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

詳しく見る

ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

詳しく見る

著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
ページトップへ