寺子屋スジャータ

63話 凶象ナーラーギリ ・・・・ 酔象もおとなしくここから

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第5部 さまざまな「悪」

第5章 サンガ分裂の陰謀

63話  凶象ナーラーギリ ・・・・ 酔象もおとなしくここから

南伝ブッダ年代記

あるとき、デーヴァダッタは世尊に近づいて、比丘僧団の指導者の地位を渡すように、ともとめたのだが、世尊はその要求を(二大弟子の)サーリプッタやモッガラーナにすら指導する手を引き渡さないのに、デーヴァダッタのような卑劣な者、唾を食う者(ケーラーサカ)に、それを引き渡すことがあろうか、といって、拒否された。デーヴァダッタは激怒して、世尊に復讐を誓ったのである。

デーヴァダッタは、アジャータサットゥ王子をそそのかし、父王のビンビサーラ王を暗殺して王子自身がマガダ国王に即位するように、と持ちかけた。一方、デーヴァダッタ自身は、世尊の暗殺を企んだ。即位したアジャータサットゥ王の助力でデーヴァダッタは、王の弓の射手たちを世尊暗殺に送った。しかし、弓の射手たちが世尊と接触したとき、かれらは弓矢を捨て去り、回心したのである。この陰謀が失敗して、デーヴァダッタは第二の陰謀を企んだ。大きな石を転がして鷲峰山の起伏ある山陰のなかを歩かれていた世尊に投げつけた。その石は世尊に当たらなかったが、石の破片がひとつ飛び散って世尊の足に当たり、血が出たのである。ジーヴァカ医師が止血剤を処方して世尊の足を治療し、まもなく回復された。第二の陰謀も失敗して、デーヴァダッタは、こう考えた。

「ブッダの近寄りがたいほど堂々とした威厳を眼にする者は誰でも、近寄って行って、暗殺するのは不可能だ。だが、アジャータサットゥ王の国王軍の象ナーラーギリがいるな。獰猛で、凶暴で、人殺しの象だ。あの象なら仏・法・僧の徳なんぞ、何も知らん。あの凶暴な象なら、まちがいなく世尊の暗殺をやるはずだ」

(訳注:古代インドでは象は王国の重要な戦力で、敵軍に突撃して粉砕、踏みつぶすのに使われた)

このように考えて、デーヴァダッタはアジャータサットゥ王のもとへ行き、この第三の陰謀を伝えた。まだ若く、智慧が未熟なアジャータサットゥ王は、邪悪な陰謀の実行手段として、ナーラーギリ象を使うことに同意した。王は象使いを呼び出し、翌朝、トディ(訳注:ヤシの樹液を発酵させた酒)を八杯飲ませるように、と指示した。王はまた、その翌朝早くに仕事をする全市民に対して、凶暴なナーラーギリ象を街に放すので通りを避けるように、とドラムを打ち鳴らして告知させた。

王の命令では満足できず、デーヴァダッタは象小屋にいる象使いに近づき、こういった。

「われらは王に絶大な影響力があることで知られておる。もし、おまえがこの任務をうまく果たせたら、昇進して、給与も増えるであろうし、そのほかの褒美も与えられよう。ナーラーギリ象の獰猛さを増すため、朝早くに、トディ十六杯を飲ませよ。そして、そのあと、通りで放し、ゴータマ比丘が托鉢で歩いてくる反対方向から突進させよ」

象使いはこの指示を受けて、「かしこまりました、旦那さま」と、いった。

報せをきいた在家の信者らは、ただちに世尊のもとへ行き、こういった。

「尊師よ、デーヴァダッタにそそのかされた王が、凶暴なナーラーギリ象を、あす朝、通りに放します。ですから、どうか尊師よ、あすは街へ托鉢(たくはつ)にお出かけにならないでください! その代わり、われらが、ここの世尊と比丘たちに、食べ物を持ってまいります」

世尊は、ヴェールヴァナ僧院(竹林精舎ちくりんしょうじゃ)に食べ物を届ける、という申し出を受け入れたが、ラージャガハ(王舎城)の街に行かない、とはいわれなかった。在家の信者らが去った後、世尊は、日課の比丘たちへの説法を初夜にされた。そして、第二時限の中夜に、神々とバラモンたちに教え、かれらの問いに答えられた。それから、第三時限の後夜に、世尊は世界を見渡されて、世尊がナーラーギリ象に説法するときには、それをきいた八万四千の衆生が、四聖諦をさとり、解脱するのを、結果を見通す天眼ではっきりご覧になられた。明け方に、その境地から出て来られて、世尊はアーナンダ尊者を呼んで、こういわれた。

「アーナンダよ、ラージャガハ周辺の十八僧院にいる比丘たち全員に、わたしについてきて街に入るように、と告げなさい」

朝になって、世尊はたくさんの比丘たちを後ろに従え、ラージャガハに入っていかれた。象使いが一行を見たとき、ただちにナーラーギリ象を通りに放した。まもなく象は、遠くからやってくる世尊を見つけた。鼻を持ち上げ、耳を立て、しっぽを直立させ、ラッパのように甲高い鳴き声を立てながら、世尊に向かって突進してきた。邪魔をするものは何でも粉砕する勢いだった。凶暴な象を見て、人びとは恐怖のうちに逃げ去った。

象の突進を見て、比丘たちは世尊に警告した。

「尊師よ、凶暴な、人殺しのナーラーギリ象が放されて、通りにやって来ます。尊師よ、世尊は引き返してくださいますように! 尊師よ、無上士むじょうしは引き返してくださいますように!」

「来なさい、比丘たちよ! 恐れることはない! どんな者であっても、諸仏の命を暴力によって奪える、ということはありえないのだ。諸仏が大般涅槃(マハーパリニッバーナ)に達するときは、暴力によってではない。それが、どんな者、あるいは、その他のことで引き起こされる暴力だとしても」

動揺した比丘たちは、二度、三度と、世尊に警告したのだが、同じ答えであった。そのころ人びとは、王宮で、家々で、貧しいあばら屋で、それぞれ多数が集まり、固唾かたずをのんで待っていた。信心深く、確信をもち、賢明で、分別ある者たちは、こういった。

「牙あるブッダが、牙ある象を、どのように教え諭して、おとなしくさせるのか、われらはこれから目撃することになろう」

しかし、異教徒たちと、信心なく、確信をもたず、賢明ではなく、分別のない者たちは、こういった。

「きょうこそ、われらは、ブッダの威厳ある、黄金色に光り輝く身体が、凶暴な、人殺しの、牙あるナーラーギリ象によって、いかに破壊されるか、目撃することになろう」

そのとき、サーリプッタ尊者が、こういわれた。

「尊師よ、父親にかかわるどのような問題であっても、その面倒をみるのが長男の務めです。象をおとなしくさせる役は、わたしにやらせてください!」

しかし、世尊はサーリプッタ尊者の申し出を、こういって断った。

「サーリプッタよ、ブッダの力と、弟子たちの力は、ちがいます。そなたは、何も面倒をみる必要はない」

ほかの偉大な弟子たちが、世尊にすすんで奉仕を買って出たときにも、世尊はまた、断られた。

しかしながらアーナンダ尊者は、もはや我慢できなくなった。世尊への大きな慈愛の思いと、自己犠牲の精神から、前に進み出て、尊師を守るために正面に立った。しかし、世尊は、こういわれた。

「後ろへ下がりなさい、アーナンダよ! 後ろへ下がりなさい! わたしの正面に、いてはいけない!」

アーナンダ尊者が、こう答えた。

「おお、尊師よ、このナーラーギリ象は、凶暴で、人殺しで、獰猛で、野蛮な殺し屋です。世尊が傷つかれるのを、わたしは許せません。象にわたしを踏みつけさせて、死なせてください!」

世尊は三たび、アーナンダ尊者に勧告したのだが、尊者はあくまで世尊の正面に立とうとした。ついに世尊は神通力を使われ、アーナンダ尊者を排除して、比丘たちのあいだに置かれた。

ちょうどそのとき、こどもを抱いた一人の母親が、象がこっちにやってくるのを見た。あわてふためいて彼女は逃げ、こどもを胸から地面に落としてしまった。世尊と象の中間だった。ナーラーギリ象はすぐさま、彼女めがけて突進してきた。だが、逃げる彼女をとらえられずに、きびすを返してこどものほうへ向かった。道の真ん中で大声で泣き叫んでいるのだ。そして、象がいままさにこどもに襲いかかろうとしたとき、世尊は慈悲で象をみたしたのである。おだやかな、やさしい声で、世尊は、こういわれた。

「ナーラーギリよ、そなたの飼い主が、わたしを殺させようと、そなたにトディ十六杯を飲ませて酔わせたのだ。だから、ほかの人びとを傷つけてはならぬ! わたしがいるところへ、まっすぐおいで!」

この酔っ払った象は、世尊の甘美な声をきいて、両目を見ひらき、ブッダの威厳ある、黄金色に光り輝く身体を見た。この酔象は世尊のまばゆいばかりの御光ごこうに圧倒され、酔いがめ、おとなしくなった。正気を取り戻したのである。ナーラーギリは長い鼻を下げた。両耳を垂れ、世尊のもとへ近づき、前に立った。世尊は右手を伸ばされ、象の額をなでられた。その手の感触にぞくぞくして、ナーラーギリは世尊の御前みまえにひざまずいた。世尊は、次のを口にされた。

 

“おお、象よ、牙ある者を襲ってはならない。

なぜなら、まさしく、牙ある者を襲うと苦しいからだ。

牙ある者を殺す者に、どのような幸福な運命もない”

 

“うぬぼれて、放逸であってはならない。

放逸な者には、どのような幸福な運命もない。

そのように行動しないなら、そなたは幸福な運命へみちびかれるであろう”

 

ナーラーギリ象は、この偈をきいて大喜びした。もし、野蛮な獣でなければ、その場で預流者(ソーターパンナ)になったはずである。それから、象は、世尊の御足みあしのちりを長い鼻でとりはらい、自分の頭の上にふりかけた。この奇蹟を見て、人びとは拍手した。歓喜にあふれ、人びとは褒美として、あらゆる飾りを象の体の上に投げて、おおった。以来、このナーラーギリ象は財を護る者(ダナパーラ)(ダナパーラ象)として知られた。象が慈悲の力の冷静さでおとなしくなったとき、八万四千の衆生が四聖諦に達し、解脱した。

この出来事のあと、ダナパーラ象は世尊が見えているあいだ右回りしつつ、後方へ退出した。それから、象小屋へ戻った。以来、残りの生では、従順で、気立てのよい、おとなしい、無害な象となったのである。

象をおとなしくさせて、異教徒を鎮めて、世尊は、比丘たちとともにヴェールヴァナ僧院へ戻られた。そのとき、在家の信者たちが僧院に豪華な食べ物をもってやってきて、世尊を上首とする比丘僧団に献げた。かれらは、次の喜びの偈を歌った。

 

“ほかの者を、杖でおとなしくさせる者もいれば、

棒や鞭で、ほかの者をおとなしくさせる者もいる。

しかし、ここに偉大な賢者は、牙ある者をおとなしくさせたのだ、

杖も、武器も、ともに使わずに”

 

64話へ続く

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南伝ブッダ年代記

Episode 63  Nāḷāgiri, THE MAN-KILLER ELEPHANT

Once, Devadatta approached the Blessed One and asked Him to hand over the leadership of the Saṁgha of Bhikkhus to him, but the Blessed One rejected his request, saying that as He would not hand it over even to the Venerable Sāriputta or the Venerable Moggallāna, He definitely could not hand it over to a vile one, eater of spittle like him. Devadatta was very angry and vowed vengeance to the Blessed One.
He instigated Prince Ajātasattu to assassinate his royal father, King Bimbisāra, and made himself king of Magadha. In the meantime, Devadatta schemed assassination of the Blessed One. With the help of King Ajātasattu, Devadatta sent some royal archers to assassinate Him. But, when the archers came into contact with the Blessed One, they threw away their weapons and were spiritually converted. When this plot failed, Devadatta made his second attempt. He rolled down a huge boulder upon the Blessed One, who was walking up and down under the shade of the Gijjhakūṭa Hill. The rock could not strike the Blessed One, but a splinter of the rock struck the foot of the Blessed One and caused it bleeding. The physician Jīvaka gave medical treatment by applying astringent on His foot; soon it recovered.
When the second plot failed, too, Devadatta thought: “It is impossible for anyone to approach and assassinate the Blessed One when he sees the Buddha’s majesty. But, there is this Nāḷāgiri, King Ajātasattu’s elephant, which is vicious, savage and homicidal. This elephant knows nothing about the virtues of the Buddha, the Dhamma and the Saṁgha. This savage elephant surely would be able to assassinate the Blessed One.”
So thinking, Devadatta went to King Ajātasattu and told him about this third plot. King Ajātasattu, being young and immature in wisdom, gave his consent to use Nāḷāgiri as a means to execute the evil plot. The king called the mahout and instructed him to give Nāḷāgiri eight pots of toddy in the next morning. King Ajātasattu then had it announced by the beating of drums that all citizens should do their business early in the next morning and avoid going about in the streets as the savage elephant Nāḷāgiri would be let loose in the city.
Unsatisfied with the king’s order, Devadatta approached the mahout in the elephant stable, saying: “We are known to have a great influence on the king. If you could carry out this duty well, you would get promotion, your wages would increase, and you would also get other rewards. Give the elephant Nāḷāgiri sixteen pots of toddy early in the morning in order to increase his fierceness, and then let it loose
into the street and rush in the opposite direction to where the bhikkhu Gotama will be walking on His alms-round.” The mahout obeyed his instruction, saying: “Very well, sir.”
The lay devotees, who heard the news, immediately went to the Blessed One and said: “Lord, the king was incited by Devadatta to let loose the savage elephant Nāḷāgiri into the streets of Rājagaha tomorrow morning. So please, Lord, do not go for alms-round in the city tomorrow! Instead, we will come and bring food to You and the bhikkhus here.”
The Blessed One accepted their invitation to take the meal in the Veḷuvana Monastery, but He did not say that He would not go into Rājagaha. After the lay devotees went away, the Blessed One performed His daily duties preaching to the bhikkhus in the first watch of the night; and in the second watch of the night, He taught devas and brahmās and answered their questions. Then, in the last hour of the
third watch of the night, when the Blessed One was surveying the world, He saw clearly in His vision that when He preached to the elephant Nāḷāgiri, eighty-four thousand sentient beings would realise the Four Noble Truths and become liberated. At dawn, having emerged from that state, He called the Venerable Ānanda and said: “Ānanda, tell all the bhikkhus who live in the eighteen monasteries around Rājagaha to come along with Me into the city.”
That morning, the Blessed One went into Rājagaha, followed by many bhikkhus. When the mahout saw them, he immediately let loose Nāḷāgiri into the street. Soon, the elephant saw the Blessed One coming in the distance. Raising his trunk and with his ears and tail erect, he charged, trumpeting towards the Blessed One, destroying anything which blocked his way. People fled in terror seeing this fierce elephant.
The bhikkhus, seeing the elephant rushing, warned the Blessed One:
“Lord, the savage elephant Nāḷāgiri, the man-killer, is loose and coming along in this street. Lord, let the Blessed One turn back! Lord, let the Sublime One turn back!”
“Come, bhikkhus! Do not be afraid! It is impossible for any person to be able to take the life of the Buddhas by violence. When the Buddhas should attain Mahāparinibbāna, it is not through violence caused by any person or another.”
For the second and the third time, the alarmed bhikkhus warned the Blessed One, but they received the same answer. At that time, a large gathering of people in the palace, houses and huts were waiting in suspense. Those who were faithful and confident, the wise and discreet, said: “We shall witness how the Buddha-Tusker tames the elephant-tusker by admonition.” But, the heretics and those who were
not faithful and confident, the unwise and indiscreet, said: “Today we shall witness how the Buddha’s majesty, the bright, yellow and golden body of the Buddha is destroyed by the savage tusker Nāḷāgiri, the man-killer.”
Then, the Venerable Sāriputta said: “Lord, it is the duty of the eldest son to attend to any matter that concerns his father. Let me tame the elephant!”
But, the Blessed One declined his request: “Sāriputta, the power of the Buddha is one thing, and the power of the disciples is another thing. You need not take any trouble.” When the other great disciples offered their service, the Blessed One also declined it.
However, the Venerable Ānanda could no longer restrain himself. Out of great love for the Blessed One and in a spirit of self-sacrifice, he came forward and stood in front of the Blessed One to protect the Master. But the Blessed One said to him: “Move back, Ānanda! Move back! Do not stay in front of Me!”
The Venerable Ānanda replied: “O Lord, this savage elephant Nāḷāgiri, the man-killer, is vicious, wild and homicidal. I will not allow it to harm You. Let it trample me to death!”
The Blessed One advised him three times, but the Venerable Ānanda persisted in standing in front of Him. At last, the Blessed One had to make use of His supernormal power to remove the Venerable Ānanda from his place and to put him among the bhikkhus.
Just then, a mother, carrying a child, saw the elephant coming; she became panic-stricken and fled, dropping the child from her bosom on the ground between the Blessed One and the elephant. Nāḷāgiri immediately rushed towards the woman. But, unable to catch her, it turned back and went to the child, who was crying loudly in the middle of the street. And when the elephant was about to attack the child,
the Blessed One suffused it with loving-kindness. In a soft and sweet voice, He said: “Nāḷāgiri, your master has made you intoxicated with sixteen pots of toddy with an intention to kill Me. So, do not harm other people! Come straight to where I am!”
This drunken elephant, hearing the sweet voice of the Blessed One, opened his eyes widely and saw the Buddha’s majesty, the bright, yellow and golden body of the Blessed One. He was overpowered by the glory of the Blessed One and became sober, tame; he regained his sanity. Nāḷāgiri lowered his trunk. Flapping his ears, he approached the Blessed One and stood before Him. The Blessed One stretched out
His right hand and stroked the elephant’s forehead. Thrilling with joy at the touch, Nāḷāgiri knelt down before the Blessed One. The Blessed One uttered these stanzas:

“O elephant, do not attack a Tusker,
For indeed it is painful to attack a Tusker.
There is no happy destiny beyond
For one who kills a Tusker.”

“Do not be conceited and negligent!
The negligent ones have no happy destiny.
Should you not act in such ways,
You would lead to a happy destination.”

The elephant Nāḷāgiri was overjoyed hearing the stanzas. Had he not been a wild beast, he would have become a Sotāpanna on the spot. Then, the elephant took the dust off the Blessed One’s feet with its trunk and sprinkled it on his head. Seeing this miracle, people clapped their hands; joyously, they threw all of their ornaments over the elephant’s body, covering it entirely as rewards. Henceforth, the elephant was known as Dhanapāla. When the elephant was tamed by the coolness of loving-kindness, eighty-four thousand sentient beings won the Four Noble Truths and became liberated. After this incident, the elephant Dhanapāla retreated backwards for as long as the Blessed One was in sight. Then, he went back to the elephant stable. Henceforth, he became a docile, good-tempered, tame and harmless elephant for the rest of his life.
Having tamed the elephant and subdued the heretics, the Blessed One returned to the Veḷuvana Monastery together with the bhikkhus. Then, the lay devotees went to the monastery with sumptuous foods and offered them to the Saṁgha of Bhikkhus headed by the Blessed One. They sang a joyous stanza:

“Some tame others by sticks,
And some with goads and whips.
But here, the Great Sage has tamed a tusker,
Using neither stick nor weapon.”

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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