寺子屋スジャータ

クサナーリの神様ものがたり(ジャータカ 第121話)

再話:藤本 竜子
絵 :隣の原始人

オンラインこども仏教教室より

 

むかし、バーラーナシーのみやこでブラフマダッタおうくにをおさめていたときのおはなしです。

おうさまはたいそうりっきゅう殿でんらしていました。きゅう殿でんきょだいはしらささえられて、たかくそびえています。せんたんからなだらかなきょくせんえがいておおきくひろがっています。インドはあつくにですが、きゅう殿でんおおきなのおかげで、なかすずしく、ちのかぜけていきました。

きゅう殿でんのまわりには、「おうその」とばれるていえんがありました。ていえんといっても、おはなくおにわだけでなく、さまざまなくだものがなるじゅえんや、じゅつなどをするひろや、ゾウたちのためのしょ、ウマたちのしょなど、いろんなしょがあります。それから、はやしもありますし、もりもありました。いけがわもありました。

さて、おしゃかさまはぜんで、このおうそのにあるクサナーリのやぶに、かみさまとしてまれました。
クサナーリはくさいっしゅです。
くさ」といってもひくちいさいものから、たかいバナナのまで、いろいろなしゅるいくさがあります。クサナーリは、たかおおきくなりますので、姿すがたのようにえますが、くさいっしゅでした。おしゃかさまはクサナーリというくさかみさまだったのです。

ひろおうそのなかにはいくつものうつくしいにわがありましたが、そのなかでもかくべつうつくしいにわがあり、そこにはおうさますわるためのおうかれていました。おうさまうつくしいしきたのしむためのとくべつしょで、いろいろなしきもそこでおこなわれました。
そのしょちかくに、いっぽんのルチャのたいじゅえていました。ルチャのは、たかくまっすぐにみきがのびて、えだほうひろがる、うつくしい姿すがたです。そのなかでもこのはすばらしくおおきくてどうどうとしてひんある姿すがたでした。おうさまつかえるきゅう殿でんひとびとは、そのを「おめでたいしんぼく」としてうやまっていました。このにはだいじんりきのあるがみさまが宿やどっていました。

クサナーリのかみさまとルチャのしんぼくがみさまはとてもなかよしでした。おたがいにしんゆうだとおもっていました。

ところが、ふたりがしたしくしていることをよくおもわないかみさまたちもいたのです。
おうそのにははやしもりもあり、さまざまながたくさんありましたから、ほかにも宿やどっているかみさまたちがいました。
ルチャのがみさまのゆうじんたちは、ルチャのがみさまがくさかみさまとしたしくしていることを、こころよくおもっていませんでした。「くさとはちがうぞ!」をおもっていたのです。
「なんで、あんなくさかみなどとおつきあいをするのですか。わたしたちかみどうしでおつきあいしていればいいじゃないですか。」とか、「クサナーリのかみなどとしたしくするのはおやめなさいよ。」などと、ルチャのがみさまにけんするかみさまたちもいました。
しかし、ルチャのがみさまは、そんなことにはみみをかさず、クサナーリのかみさまをしんらいし、だいしんゆうとしてつきあっていたのでした。

そんなあるのこと、おうさまきゅう殿でんでは、ひとつのもんだいこりました。おうさまきゅう殿でんおおささえるいっぽんばしらがぐらぐらしていることがつかりました。だいだいこくばしらです。これがたおれでもしたら、きゅう殿でんはいっぺんにつぶれてしまいます。
このできごとがおうさまほうこくされると、おうさまはすぐにみやだいたちをんで、こうげました。
わたしいっぽんばしらきゅう殿でんだいこくばしらがぐらついている。りっはしらさがしてきて、きゅう殿でんをしっかりとしゅうぜんせよ。」

クサナーリの神様ものがたり(ジャータカ 第121話)

だいたちは、
「かしこまりました。おうさま。」
とうけたまわり、すぐに、だいこくばしらになるにふさわしいさがはじめました。おおきないっぽんばしらきゅう殿でんだいこくばしらになるほどのは、そうかんたんにはつかりません。あちこちさがしましたがつからず、とうとう、おうそのなかさがしました。
だいたちのにとまったのは、あのりっなルチャのでした。しかし、だいたちはそのままおうさまのところへもどってきました。
おうさまが、
いっぽんばしらにふさわしいつかったか?」
とたずねました。
おうさま、ふさわしいはありました。しかし、そのることができません。」
だいがこたえました。
「いったいなぜじゃ?」
「わたしたちはあらゆるところで、ふさわしいさがしましたがつけることができず、さいおうさまそのはいりました。そこにはみごとなルチャのしんぼくっておりました。ルチャのしんぼくきゅう殿でんおおささえることができるすべてのじょうけんをそなえております。それだけのはほかにはつけることができませんでした。しかし、あのルチャのはおめでたいしんぼくでございます。たおすことはできないとぞんじております。」
それをいたおうさまは、
「あいわかった。よい。あのルチャのって、きゅう殿でんをしっかりとしゅうぜんしてくれ。わたしはほかにしんぼくとなるえようぞ。」
いました。
だいたちは、
「かしこまりました。」
って、おうさまぜんからさがりました。
そして、おそなえものをじゅんして、ふたたびおうそのきました。
ルチャのしんぼくのところへくと、おそなえをし、ようをしました。それは、「つぎにこのります」というしきなのです。
ルチャのがみさまはようゆうると、とてもおどろきました。
わたしたちのてんきゅう殿でんがなくなってしまう。おさならをれて、どこかにげなければ。」と、さきをさがしますが、そのようなしょつからず、こどもらをかかえていていました。
ルチャのがみさまのまわりに、ゆうじんかみたちがあつまってきました。
「いったいどうしたのか。」
とたずねて、がみさまからいきさつをくと、みな、どうしようもなく、かのじょかこんで、いっしょにきました。
そういうわけで、かみたちがあつまって、みなでいていましたが、だれもどうしたらよいかとほうほうつけることができませんでした。

ちょうどそのとき、クサナーリのかみさまがともだちのルチャのがみさまにおうとおもって、やってました。てみると、みんなでいています。
クサナーリのかみさまは、ルチャのがみさまからいているゆうをきくと、
「そうですか。だいじょうですよ。しんぱいしないで。このらせないように、わたしがなんとかしましょう。だいがやってくるときに、わたしがすることをていてください。」
って、ともだちをあんしんさせてあげました。

そしてよくじつだいたちがやってくるころになりました。
クサナーリのかみさまはカメレオンにへんしんしてしんぼくのところでっていました。
だいたちがちかづいてくるのをると、カメレオンは、ちょこちょことしんぼくもとのところに姿すがたしました。だいたちはしんぼくもとあながあって、そこにカメレオンがはいったようにえました。それから、カメレオンはみきのてっぺんのところに姿すがたをあらわして、あたまをゆすっていました。
だいたちは、てっきり、カメレオンがみきなかをとおってのぼっていったのだとおもいました。
そこで、カメレオンをながら、をポンとたたくと、
「なんだ。このあなあきだったのか。それでは使つかえないや。のうはそんなこととはらずに、ようしてしまったよ。」
と、ぷりぷりおこりながら、っていきました。

ルチャのがみさまは、たちのきせずにすむことになりました。クサナーリのかみさまのおかげで、てんきゅう殿でんわれることなく、ずっとむことができます。がみさまは、こころからほっとして、とてもよろこびました。

クサナーリの神様ものがたり(ジャータカ 第121話)

そして、みなにこうはなしました。
「みなさん。わたしたちはだいじんりきっているかもしれませんが、それがなんでしょう。だいじんりきがあっても、がなければ、どうすればよいのかまったくわかりませんでした。なんのほうほうつけられませんでした。しかし、クサナーリのかみさまはぶんわたしたちをすくってくれました。わたしたちのてんきゅう殿でんまもってくれました。
ぶんひとしくおもえるひととも、ぶんよりうええるひととも、ともだちになるべきです。
それから、ぶんよりひくえるひととも、まったくおなじように、ともだちになるべきです。
さいなんこったときに、たすけてくれるのはともだちです。
わたしがこのルチャので、クサナーリのかみさまにすくわれたことが、まさにそれなのです。」

クサナーリの神様ものがたり(ジャータカ 第121話)

そうして、クサナーリのかみさまとルチャのかみさまのゆうじょうすえながくつづいた、ということです。

 

おはなしのポイント

ひとはすぐにべつをしてしまいます。

かねちかびんぼうか、
からだのスタイルがいかどうか、
たいりょくがあるかよわいか、
けんりょくがあるかどうか、
せいせきいかわるいか、
よう姿かけがうつくしいかどうか、
いえがらいかどうか、
ゆうめいかどうか、
はだいろ
くにみんぞく
おとこおんなか、
などなど、ひとにはちがいがあります。

そのちがいで、すぐれている・おなじぐらい・おとっている とはんだんします。
ぶんよりうえだ、ぶんおなじくらいだ、ぶんよりしただ、とおもってしまいます。

ぶんよりうえひとぶんおなじくらいのひとともだちになろうとします。
ぶんよりしたひととはともだちにならないようにします。

しゃさまのメッセージは、そんなことでともだちをえらぶことはまちがっています、
ということです。

ちがいはあってあたりまえです。みんなおなじということはありえません。
ちがいをて、ひとべつするのは、やってはならないことです。

ほんとうともだちは、なにかあったときたすけてくれるひとです。
うえとかしたとかのかんがかたをやめて、それとはかんけいなく、ともだちになりましょう。

がんばってでもともだちになったほうがよいひとは、じんかくができているひとのそなわったひとです。

(おしまい)

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