寺子屋スジャータ

50話 青年への教え ・・・・ 「シンガーラ教誡経」(六方礼経)

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第4部 ブッダをめぐる人々

第5章 在家信者への教え

  

50話  青年への教え ・・・・ 「シンガーラ教誡(きょうかい)経」(六方礼経ろっぽうらいきょう

南伝ブッダ年代記

マガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)にシンガーラカという青年が住んでいた。かれの父は長者で、四十クローレ(四億金)相当の財産をもっていた。父は熱心な在家の仏弟子で、母もそうであった。世尊にみちびかれて両親は法(ダンマ)を実践し、聖者の第一段階を覚って、預流者(ソーターパンナ)になった。しかしながら、息子のシンガーラカは、世尊に対して信心がなく、熱心な信者でもなかった。

両親は、しょっちゅうシンガーラカ青年に、こうさとした。

「なあ、わが息子よ、おまえは世尊とお近づきになるべきだよ。おまえは法将軍(訳注:法将軍とは、仏弟子中、『智慧第一』のサーリプッタ尊者への敬称)のサーリプッタ尊者や、マハー・モッガラーナ尊者、マハー・カッサパ尊者、そして八十大弟子の方々とお近づきになるべきだよ」しかし、かれは、こう答えた。

「ああ、お父さん、お母さん! そのような比丘たちとお近づきになるなんて、わたしには関係ないことです。もし、そんな方々のところへ行けば、わたしは腰をかがめてお辞儀しなければなりません。すると、背中が痛み、膝がきつくなります。地面に坐らなければならないので、衣装が汚れて、台なしになります。その後に、わたしはそうした方々と会話して、親交を結び、互いに信頼するように努めなければなりません。で、それから、わたしがかれらを招待して、衣や食事などをお布施することになるでしょう。そうするとわたしの財産は減ってしまいます。比丘たちとお近づきになるなんて、わたしには、まさに何の利益もありませんよ」

さて、かれの賢明な父は、すでにたいへん年老いていた。死の床で、かれの父は、こう考えた。

(わしは死ぬ前に、最後にわが息子を教えいましめてみよう)

そして、さらに、こう考えたのである。

(わが息子に、毎日、もろもろの方角へ礼拝らいはいしてほしいのだ、といおう。わしの遺言なのだから、その意味と目的がわからなくても、息子は従うだろう。そうすれば、礼拝しているうちのある日、世尊か、世尊の弟子たちが息子を見て、法を説くだろう。そして、ブッダの教えが何よりまさっていることを理解したら、わが息子は功徳くどくを積むことになろう)

そこで、かれの父は息子のシンガーラカ青年を呼び寄せて、こういった。

「なあ、わが息子よ、わしの寿命は尽きたようだが、わしはおまえをとても愛しておるのだ。わしの老齢のせいで、わしらはお互い、別れなければならないんだよ。わしの死んだ後、おまえは朝早く起きて、町の外へ出て行って、六方を礼拝するべきだぞ。なあ、わが息子よ、これを、きっとやるんだよ!」

この遺言を忘れずに、シンガーラカ青年は、その意味や目的を理解することなく、父の言いつけに従った。かくして毎日、朝早く起き、ラージャガハの町の外に出て、濡れた服と濡れた髪のシンガーラカ青年は、六方へ手を合わせて祈った。すなわち、東西南北と上下の六方向である。

(訳注:濡れた服、髪とは、川で沐浴もくよくして頭を洗い清め、濡れた服が乾かないままで、と解される)

そのころ、世尊はラージャガハ近くのヴェールヴァナ僧院(竹林精舎ちくりんしょうじゃ)に住まわれていた。そこは黒リスに餌を与えて保護している区域(栗鼠(カランダカ)給餌所(ニヴァーパ))にあった。そして世尊は、朝早く起き、衣をととのえ、外衣と托鉢用の鉢を持ってラージャガハへ托鉢に行かれた。その道すがら、シンガーラカがもろもろの方角へ礼拝しているのをご覧になって、尋ねられた。

「長者の子よ、なぜ、そなたは朝早く起き、ラージャガハの町の外に出て、濡れた服と濡れた髪のまま、六方へ手を合わせて祈っているのか?」

「尊者よ、わたしの父が亡くなる前に、そうするようにと諭したのです。そして、尊者よ、父の遺言への敬意から、遺言を尊び、重んじ、聖なるものとし、わたしは朝早く起き、六方へ礼拝しているのです」

「だが、長者の子よ、それは聖者の律に従った六方への礼拝の正しいやり方ではない」と、世尊は言われた。

「それでは、尊者よ、聖者の律に従った六方への礼拝とは、どのようにすればよいのでしょうか?」

「では、長者の子よ、よく注意して聴きなさい! もろもろの方角へ礼拝するほんとうの意味を説明しよう」

「かしこまりました、尊者よ」と、シンガーラカは答えた。

 

まず避けるべき全十四の悪事

 

シンガーラカ青年に六方の意味を直接、説明する代わりに、世尊は、最初に避けるべき十四の悪事とは何か、解説された。その後に六方を人になぞらえて、それぞれに相当する意味を説明された。ここで世尊はシンガーラカ青年に、社会の中で調和して生きるためのたいへん包括的で実際的な指標を与えられたのである。この指標は在家の律(Gihivinayaギヒ ヴィナヤ)として知られている。世尊は、こういわれた。

「長者の子よ、聖なる弟子は四つの汚れた行為を捨てます。四つの心理状態の悪行為をやめるのです。そして、財産を失う六つの悪習を追い求めないのです。このように十四の悪事を避けることをとおして、聖なる弟子は六方を保護します。そのような実践で、この世とあの世の両方の征服者になり、この世もあの世も、うまくやっていけるのです。そして、身体が滅ぶと、死後、善き運命の天界に行くのです」

「長者の子よ、放棄すべき四つの汚れた行為とは、生きものの命を奪うこと(殺生せっしょう)、与えられていないものをること(偸盗ちゅうとう)、肉欲の不品行(邪婬じゃいん)、 嘘をつくこと(妄語もうご)です」

「そして長者の子よ、聖なる弟子が悪業をつくるのを慎む四つの心理状態とは、偏った好み、悪意の怒り、何が正か邪かの無知、そして恐れです」

「そしてさらに長者の子よ、聖なる弟子は財産を失うので追い求めない六つの悪習とは、酔う酒類や怠惰を誘発する薬物に耽ること、不適切な時間に街をうろつく夜遊びに耽ること、見世物や娯楽に耽ること、賭け事に耽ること、悪友と親しく交わること、怠けが癖になること、です」

 

六つの悪習ごとに、それぞれの果ては六悪へ

 

「長者の子よ、酔う酒類や、怠惰を誘発する薬物に耽って、その果てに起こる六つの悪い結果とは、生活の中で目に見えてお金の無駄づかいをしてしまうこと、けんかや暴力沙汰になりやすいこと、病気になりがちなこと、名誉や評判を失うこと、みっともない身体陰部の露出、知性が衰弱すること、です」

「長者の子よ、不適切な時間に街をうろつく夜遊びに耽って、その果てに起こる六つの悪い結果とは、無防備で、自分を守れないこと、同じく妻子を守れないこと、同じく資産を守れないこと、犯罪の嫌疑をかけられること、あらぬ言いがかりを受けやすいこと、あらゆるめごとに出遭であうこと、です」

「長者の子よ、見世物や娯楽に耽って、その果てに起こる六つの悪い結果とは、自分の責任をないがしろにして、いつでも、このように考えるのです。(どこで踊りをやってるのかなあ?)、(どこで歌をやってるのかなあ?)、(どこで演奏をやってるのかなあ?)、(どこで話芸をやってるのかなあ?)、(どこで手鈴楽をやってるのかなあ?)、(どこで太鼓をやってるのかなあ?)と」

「長者の子よ、賭け事に耽って、その果てに起こる六つの悪い結果とは、賭けに勝つと恨みを招き、賭けに負けると損をして嘆き、財産を無駄にし、人の集まりで信用されず、友人や知人に軽蔑されて、妻を養えないので賭博師は結婚相手には望まれないのです」

「長者の子よ、親しく交わると悪い結果を招く六種類の悪友とは、賭博師、遊び人、飲んだくれ、いかさま師、詐欺師、乱暴な犯罪者の仲間、です」

「長者の子よ、怠けが癖になって、その果てに起こる六つの悪い結果とは、『寒すぎる』と、いいわけして仕事をしないこと、『暑すぎる』と、いいわけして仕事をしないこと、『朝が早すぎる』と、いいわけして仕事をしないこと、『夜になって、もう遅すぎる』と、いいわけして仕事をしないこと、『おなかがすいているから』と、いいわけして仕事をしないこと、『おなかがいっぱいで動けないから』と、いいわけして仕事をしないこと、です」

 

真の友とみせかけの友

 

「長者の子よ、次の四つのタイプは、真の友ではなく、みせかけの友です。すなわち、他人からものを取っていくだけの持ち逃げ屋、大口をたたくか、空約束をする口先だけの友、甘い言葉でお世辞をいう者、放蕩仲間、です」

「長者の子よ、次の四つのタイプは、本物の心の友と見られます。助けてくれる者、幸福なときも不幸なときも苦楽を共にする者、相談に乗って善いことを指摘し、助言してくれる者、思いやりがある気の合う者、です」

 

六方それぞれの意味とは

 

「さて、それでは長者の子よ、次の六つが六方とみなされるのです。東方は両親、南方は先生、西方は妻らの家族、北方は友人・知人、下方は召使い・雇い人、上方は出家修行者やバラモン(聖者)たち、です」

 

東方とは両親

 

「長者の子よ、五つのやり方で東方である両親のお世話に、息子は勤しまなければならない。それは、両親が養育してくれたのだから、お返しに両親を養う。▽両親に代わって義務を果たす。▽家柄の名誉と伝統を守る。▽親ゆずりの相続財産にふさわしい者になる。▽先祖供養など両親に代わって功徳を積む-というものです」

「そして、長者の子よ、こどもたちがお世話に勤しんだ両親は、五つのやり方でこどもたちに報いなくてはならない。すなわち、悪いことをやめさせる。▽善いことをするように促す。▽学問、技芸の教育を与える。▽ふさわしい伴侶をみつけて結婚の世話をする。▽適切な時期に家督の相続をする-というものです」

 

南方とは先生

 

「長者の子よ、五つのやり方で南方である先生のお世話に、弟子は勤しまなければならない。それは、先生が来られると、起立して礼をする。▽付き添って、仕える。▽いわれたとおりに従う。▽身のまわりのお世話・奉仕をする。▽受けた教えに熟達する-というものです」

「そして、長者の子よ、弟子がお世話に勤しんだ先生は、五つのやり方で弟子に報いなくてはならない。すなわち、正しい道徳を弟子に教える。▽弟子が学習してちゃんと理解すべきものを、しっかり確認する。▽弟子をあらゆる学問、技芸で訓練する。▽友人・仲間に弟子を紹介して推薦する。▽あらゆる方面で弟子を保護する-というものです」

 

西方とは妻・家族

 

「長者の子よ、五つのやり方で西方である妻の世話に、夫は勤しまなければならない。それは、妻に思いやり深く接し、親愛の情をこめて話しかける。▽妻には敬意を示し、貶(けな)したりしない。▽妻に忠実で不倫しない。▽家事に関しては妻に実権を委(ゆだ)ねる。▽衣服や装飾品をプレゼントして喜ばせる-というものです」

「そして、長者の子よ、夫が世話に勤しんだ妻は、五つのやり方で夫に報いなくてはならない。すなわち、妻は家事を全力できちんとこなす▽夫婦両方の家系の親類縁者を手厚くもてなし、心ひろく鷹揚に接する▽夫に忠実で不倫しない▽夫が稼いで妻にもってきたもので上手にやりくりする▽妻としてしなければならないことは、巧みに、勤勉にこなす-というものです」

 

北方とは友人・知人

 

「長者の子よ、五つのやり方で北方である友人・知人の世話に、良家の男子は勤しまなければならない。それは、友人・知人に、お布施する(布施)。▽優しい言葉で語る(愛語)。▽必要なときはいつでも助けてあげる(利他行)。▽自分と同じように扱う(同事、訳注:以上の布施、愛語、利他、同事の四つは『四摂事(ししょうじ)』といわれる)。▽約束を守り、裏切らない-というものです」

「そして、長者の子よ、良家の男子が世話に勤しんだ友人・知人は、五つのやり方で良家の男子に報いなくてはならない。すなわち、良家の男子が不注意でどうしようもないとき、保護してあげる。▽良家の男子が不注意でどうしようもないとき、財産を防護してあげる。▽良家の男子が危険なとき、逃げ場になってあげる。▽良家の男子が困ったとき、見捨てない。▽良家の男子の子孫に関心を示す-というものです」

 

下方とは召使い・雇い人

 

「長者の子よ、五つのやり方で下方である召使い・雇い人の世話に、主人は勤しまなければならない。それは、主人は雇っている召使い・雇い人の能力に応じて仕事を割りふらなければならない。▽召使い・雇い人に食べ物と賃金を与える。▽召使い・雇い人が病気になったら面倒をみる。▽珍しい食べ物などが手に入ったら分けてあげる。▽休みを与える-というものです」

「そして、長者の子よ、主人が世話に勤しんだ召使い・雇い人は、五つのやり方で主人に報いなくてはならない。すなわち、主人より先に起きる▽主人より後に寝る▽与えられたもののみ受けとる▽仕事を上手にこなす▽主人の名声、評判を高めるようにする-というものです」

 

上方とは出家修行者やバラモン(聖者)

 

「長者の子よ、五つのやり方で上方である出家修行者やバラモンの世話に、在家信者は勤しまなければならない。それは、慈しみのある身体活動▽慈しみのある言語活動▽慈しみのある意思活動▽家の門戸を開放▽食べ物や適切な必要品(資具)を布施-することによって、というものです」

「そして、長者の子よ、在家信者が世話に勤しんだ出家修行者やバラモンは、六つのやり方で在家信者に報いなくてはならない。すなわち、悪いことをやめさせる。▽善いことをするように促す。▽慈悲の心でまもってあげる。▽今までに聞いたことのない真理を教えてあげる。▽今までに聞いた深遠な教えのことがらの真意を説明し、明解にしてあげる。▽天界への道を示す-というものです」

シンガーラカ青年は世尊の説法を注意深く聴いた。そして、意味や目的が分からないまま六方を礼拝するのではなく、人間関係について具体的に何をどうすべきか、世尊の言葉に従うことの利点がシンガーラカ青年にはわかった。世尊が以上のように説き終えると、シンガーラカ青年は感極まって叫んだ。

「すばらしい、尊師よ、すばらしい、尊師よ! 真理が多くの方向で、世尊によってはっきり見えました。倒れていた物を正しく起こすように、隠されていたことを暴露するように、道に迷っている者に道を示すように、暗闇の中で灯火(ともしび)を掲げて物のかたちがくっきり見えるように、世尊はされました。わたしは世尊に、真理に、僧団に(仏法僧の三宝に)帰依きえします。尊師よ、在家の仏弟子としてわたしを世尊が数えてくださいますように。きょうからわが命尽きるまで、生涯帰依いたします」

 

51話へ続く

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南伝ブッダ年代記

Episode 50  SOCIAL DUTIES OF THE LAY PERSON

In Rājagaha, the capital city of the Magadha Kingdom, there lived a young householder named Siṅgālaka. His father was a millionaire who possessed wealth worthy of forty crores. He was a devoted lay disciple of the Blessed One. So was his wife. Having practised the Dhamma guided by the Blessed One, they could realise the first state of noblehood and became Sotāpannas. However, their son Siṅgālaka had
neither faith nor devotion to the Blessed One.
His parents very often advised the young Siṅgālaka, saying: “My dear son, you should approach the Blessed One, you should also approach the General of the Dhamma, the Venerable Sāriputta, the Venerable Mahā Moggallāna, the Venerable Mahā Kassapa, and the eighty great disciples.”
But, he replied: “O father, mother! I have no business to approach those bhikkhus. Should I go to them, I ought to pay homage to them by bowing down my body, and this will cause pain in my back; and by doing so, my knees become rough; I must sit on the ground which will soil and spoil my clothes. After that, I must make a conversation with them and try to generate intimacy and trust between us. And then, I should invite them and donate robes, alms-food, etc. to them. By doing thus, my wealth will decrease. Indeed, there is no benefit for me to approach those bhikkhus.” Thus, although they had advised the young Siṅgālaka as long as their life, their advice could not move his heart.
Now, his wise father was already very old, and when he was lying on his death-bed, he thought: “I will try to give advice to my son for the last time before I die.” And he thought further: “I will ask my son to worship the various directions everyday. As these are my last words, he will obey my advice though he does not understand its
meaning and purpose. Then one day while he is doing so, the Blessed One or His disciples will see him and preach the Dhamma to him. And having understood the advantage of the instruction from the Buddha, my son will perform meritorious deeds.”
Then, his father called the young Siṅgālaka and said to him: “My dear son, it seems my time has come and though I love you so much, we must be separated from each other due to my old age. After my death, having got up early in the morning, you should go outside the city and worship the six directions. My dear son, do this without failure!”
Remembering these last words, the young Siṅgālaka obeyed his father’s advice without understanding its meaning and purpose. Thus every day, the young Siṅgālaka—having got up early in the morning and gone out of the City of Rājagaha in wet clothes and with wet hair—worshipped with joined palms the six directions i.e. the east, the south, the west, the north, the nadir and the zenith.
At that time, the Blessed One was staying near Rājagaha in the Veḷuvana Monastery, at the sanctuary where black squirrels were fed (Kalandakanivāpa). And the Blessed One, having risen early in the morning and rearranged His robes, took his outer robe and alms-bowl and went to Rājagaha for alms. On the way, seeing Siṅgālaka paying homage to the various directions, He asked: “Young householder, why have you risen early in the morning and come out from the City of Rājagaha in wet clothes and with wet hair worshipping the six directions?”
“Lord, my father advised me to do so before he passed away. And, Lord, out of respect for my father’s words, which I revere, honour and hold sacred, I have risen thus early in the morning to worship the six directions.”
“But, young householder, that is not the right way to worship the six directions according to the Ariyan discipline,” the Blessed One said.
“Well then, Lord, how should one worship the six directions according to the Ariyan discipline?”
“Then, young householder, listen and pay attention carefully! I will explain the real meaning of worshipping the various directions.”
“Very well, Lord,” Siṅgālaka replied.

The Fourteen Evils
Instead of directly explaining the six directions to the young Siṅgālaka, the Blessed One expounded first the fourteen evils which should be avoided; after that, He personified the six directions and explained their meanings in reciprocal ways. Here, the Blessed One gave the young Siṅgālaka a very comprehensive and practical guide for living harmoniously in the society; the guide also contains the various aspects of social life. This guide is known as the discipline of a householder (the Gihivinaya).
The Blessed One said: “Young householder, the noble disciple abandons the four defiled actions; he refrains from the four causes of evil action; and he does not follow the six means causing loss of wealth. Thus, through avoiding these fourteen evil things, the noble disciple covers the six directions; by such practice, he becomes a conqueror of both worlds and he can go well in this world and the next. And at the
breaking-up of the body after death, he will go to a good destiny, a heavenly world.”
“Young householder, these are the four defiled acts which should be abandoned: taking one’s life, taking what is not given, sensual misconduct, and telling lies.”
“And, young householder, these are the four causes of evil action from which a noble disciple refrains: evil action instigated by partiality, by ill-will, by ignorance of what is right or wrong, and by fear.”
“And again, young householder, these are the six means causing loss of wealth that a noble disciple does not follow: addiction to intoxicant drinks and negligence-inducing drugs, roaming about the streets at unfitting times, frequenting shows and entertainments, being addicted to gambling, associating with bad companions, and
habitual idleness.”
“Young householder, there are these six evil consequences attached to addiction to intoxicant drinks and negligence-inducing drugs: actual waste of money in this very life, liability to quarrels and violence, liability to sickness, loss of good name and reputation, indecent exposure of one’s body, and weakening of the intellect.”
“Young householder, there are these six evil consequences attached to roaming about the streets at unfitting times: one is defenceless and without protection; so are one’s wife and children; and so is one’s property; one is suspected of committing crimes; one is subjected to false accusations; and one will encounter all sorts of troubles.”
“Young householder, there are these six evil consequences attached to requenting shows and entertainments: neglecting his responsibilities, one is always thinking: ‘Where is the dancing? Where is the singing? Where is the playing of music? Where is the recitation? Where is the hand-clapping? Where is the beating of drums?’”
“Young householder, there are these six evil consequences attached to gambling: the winner begets enmity, the loser bewails his loss, one wastes one’s wealth, one’s word is not trusted in the assembly, one is despised by one’s friends and companions, one is not in demand for marriage because a gambler cannot support a wife.”
“Young householder, there are these six evil consequences to associating with bad companions: taking any gambler, any libertines, any drunkard, any fraud, any trickster, or any criminal as his friend, his companion.”
“Young householder, there are these six evil consequences attached to habitual idleness: one has a tendency for making an excuse saying that as it is too cold, one does not work; as it is too hot, one does not work; as it is too early, one does not work; as it is too late, one does not work; as one is too hungry, one does not work; as one is too full, one does not work.”

True and False Friends
“Young householder, there are these four types of false friends pretending to be true friends, that is, one who only takes things from others, one who is a great talker or one who only renders lip-service by making empty promises, the flatterer, and the fellow-spendthrift.”
“Young householder, there are these four types who can be seen as true-hearted friends: one who is helpful, one who is the same in happy and unhappy times, one who points out what is good or one who gives good counsel, and one who is sympathetic.”

The Meaning of the Six Directions
“And now, young householder, these six things are to be regarded as the six directions. The east denotes parents. The south denotes teachers. The west denotes wife and children. The north denotes friends and companions. The nadir denotes servants and employees. The zenith denotes religious teachers such as monks and brahmins.”

Parents and Children
“Young householder, in five ways a son should minister to his parents as the eastern direction, thus: my parents have supported me, I will support them in turn; I shall manage duties on their behalf; I shall keep up the honour and tradition of the family; I shall make myself worthy of their heritage; I shall perform meritorious deeds, such as offering alms, on their behalf.”
“And young householder, in five ways the parents, so ministered to by their children, should reciprocate: they will restrain them from evil, encourage them in doing good, give them education in arts and sciences, arrange them in marriages with suitable spouses, and hand over property to them as inheritance at the proper time.”

Teacher and Pupil
“Young householder, in five ways pupils should minister to their teachers as the southern direction, that is, by rising from the seat to greet them, by attending to and waiting upon them, by obeying them, by offering personal service to them, and by mastering the skills they teach.”
“And young householder, in five ways the teachers, thus ministered to by their pupils, should reciprocate, namely: they will give proper instruction to their pupils, make sure they have grasped what they should have duly grasped, train them in all arts and sciences, recommend them to their friends and colleagues, and provide them with security in all directions.”

Husband and Wife
“Young householder, in five ways a husband should minister to his wife as the western direction, that is, by being courteous to her and addressing her in endearing words, by showing respect to her and not disparaging her, by being faithful to her, by giving authority to her over household affairs, and by delighting her with clothes and
ornaments.”
“And young householder, in five ways a wife, thus ministered to by her husband, should reciprocate, namely: by properly organising household affairs to her best, by being hospitable and generous to the kith and kin from both sides of the family, by being faithful to him, by managing well what he earns and brings to her, and by being skilful and diligent in all that she has to do.”

Companion and Friend
“Young householder, in five ways a man of a good family should minister to his friends and companions as the northern direction, that is, by giving them gifts, by speaking kind words to them, by helping them whenever they need, by treating them as he treats himself, and by being reliable in his words and promises.”
“And young householder, in five ways friends and companions, thus ministered to by a man of a good family, should reciprocate, namely: by looking after him when he is inattentive, by guarding over his property when he is inattentive, by being a refuge in times of danger, by not deserting him in times of need, and by showing concern for his descendants.”

Master and Servant
“Young householder, in five ways a master should minister to his servants and employees as the nadir, that is, by assigning work according to their ability and physical strength, by supplying them with food and wages, by looking after them when they are sick, by sharing special delicacies with them, and by granting them time off work.”
“And young householder, in five ways servants and employees, thus ministered to by their master, should reciprocate, namely: by getting up early before him, by going to bed after him, by taking only what is given, by performing their duties well, and by upholding his good name and reputation.”

Religious Teacher and Lay Person
“Young householder, in five ways a lay person should minister to monks and brahmins as the zenith, that is, by kindness in bodily action, by kindness in verbal action, by kindness in mental action, by keeping the house open to them, and by supplying them with food and requisites suitable to them.”
“And young householder, the monks and brahmins, thus ministered to by a lay person should reciprocate in six ways, namely: they restrain him from evil, encourage him to do good, protect him with loving-kindness, teach him what he has not heard before, explain and make clear to him the profound matters which he has heard before, and show him the way to heaven.”
The young Siṅgālaka listened to the Blessed One’s advice attentively and found the advantages of following His words. And when the Blessed One had spoken thus, Siṅgālaka exclaimed: “Magnificent, Lord, magnificent, Lord! The Dhamma has been made clear in many ways by the Blessed One, as though He were righting the overthrown, or revealing the hidden, or showing the way to one who is lost, or holding up a lamp in the dark for those with eyes to see visible forms. I take
refuge in the Blessed One, in the Dhamma and in the Order of Bhikkhus. Lord, may the Blessed One count me as a lay disciple who has taken refuge from today till the end of my life.”

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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