寺子屋スジャータ

01話 スメーダ・・・・未来のブッダ

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第1部 出家まで 

第1章 ブッダの過去世

01話 スメーダ・・・未来のブッダ

南伝ブッダ年代記

 

 

はるかむかし、そのまたはるかにとお大昔おおむかし宇宙うちゅうなんも何度もまれては消滅しょうめつするだいサイクルをかぞえきれないほどくりかえしたよん阿僧祗あそうぎ(アサンケイヤ)じゅうまんこう(カッパ)もまえのことである。
はなやかにさかえる都市としアマラヴァティーにスメーダというおとこんでいた。裕福ゆうふくなバラモン(最高さいこう司祭しさい階級かいきゅう)の家庭かていのその男の子がまだおさないころ、両親りょうしんぜん財産ざいさんのこしてくなった。少年しょうねんはバラモンとしてバラモンきょう聖典せいてんであるさんヴェーダをまなび、ほどなく習熟しゅうじゅくして奥義おうぎをきわめ、よどみなく暗唱あんしょうできるまでになった。
スメーダが勉学べんがくえて成人せいじんしたとき、いえの財産管理かんりにんが財産リストをもってきた。スメーダの両親が亡くなって以来いらいずっと保管ほかんしていたもので、財産管理人が宝物ほうもつぞうけると、蔵いっぱい、きんぎん、ダイヤモンド、ルビー、真珠しんじゅ、そのほかの財宝ざいほうまっていた。財産管理人は「わか主人しゅじんさま、この財宝は全部ぜんぶ、あなたが相続そうぞくされました。母方ははかた父方ちちかた、そのななだい前のご先祖せんぞからずっとがれたものです。どうされてもかまいません、おきなように!」といって、全財産を手渡てわたした。
ある、かれがひとりぼっちであしんですわっているうちに、こんなかんがえがかんできた。
「なんて、みじめなんだろうか。い、病気びょうき、にくるしめられるはずの身体からだの、この生存せいぞんまれついたんだもの。もし、ぼくがこの身体をてられたら、それだけでみじめなしょうろうびょうから解放かいほうされて自由じゆうになるだろう。両親、祖父母そふぼ、先祖にできたのは財産をたくわえることだけだった。でも、んだときは金貨きんかたったいちまいだってっていけなかった。ぼくもいつかとしをとって、病気になって、ついに死んでしまうだろう。この財産を手放てばなし、資産しさんらしからはなれて、もりはいって行者ぎょうじゃになったらいいだろうな。いのちの束縛そくばくから自由へかうみちを、ぼくはさがそう」
そういうわけで、国王こくおう許可きょかたあとに、力強ちからづよ太鼓たいこらされ、かれは、アマラヴァティー全市ぜんしへ大布施ふせのお触れをした。
「わが財産をほしいものたちよ、だれでもたれ、っていけ!」
こうして、さまざまな階層かいそうひとびとが、さまざまなところからやってきて、スメーダの財産を好きなだけ取っていった。

行者の暮らしをはじめること

お布施のおおきな行為こういのあと、スメーダはを捨て、まさにその日、ゆきいただくヒマラヤ山脈へかった。ヒマラヤのふもとにくなり、スメーダはやま峡谷きょうこく沿いにあるいて、気持きもちよくむのにぴったりの場所ばしょさがした。ダンミカ山地さんちいき川辺かわべに、かれは庵(いおり)をみつけた。その草庵そうあんが誰のものでもないのをたしかめて、まいとすることにめた。それから俗世ぞくせいふく処分しょぶんし、樹皮じゅひぬのころもをまとって、みずから行者になった。
その日以来、手抜てぬきすることなく行者の暮らしを実践じっせんした。かれはあく思考しこうにはみっつの範疇はんちゅう(はんちゅう)があるとわかっていた。放逸ほういつへみちびいてゆく感覚かんかく欲望よくぼうにもとづいた思考(よく(カーマ)じん(ヴィタッカ))、殺生せっしょう破壊はかい危害きがいへみちびいてゆく悪意あくいの思考(瞋恚しんに尋(ヴィヤパーダヴィタッカ))、他者たしゃへの危害と傷害しょうがいにみちびいてゆく残酷ざんこくさにもとづいた思考(害尋がい(ヴィヒンサヴィタッカ))の三つである。このことをって、行者はみずからを、完全かんぜんこころ離脱りだつと身体の離脱(遠離おんり(パヴィヴェーカ))にささげたのである。その結果けっかとして、かれはそのつぎの日、庵を捨て、樹木じゅもく根方ねかたちかづき、そこを住まいにした。
さらにその次の日のあさちかくのむら托鉢たくはつに入った。むらびとたちは熱意ねついをこめて、かれに上等じょうとうもの提供ていきょうした。それを食べたあと、かれはすわってこう考えた。
「行者になったのは食べ物や栄養えいようぶつがなかったからじゃないんだ。ひとがたがやしてそだてた穀物こくもつべるのは、ひかえたほうがいいな。からちてくる果物くだものだけできていこう」
そのときから、木から落ちてくる果物だけで暮らした。たゆみなくかれは精進しょうじんし、すわる、つ、あるくという三つの威儀いぎ起居ききょ動作どうさのふるまい)だけのなかにいて、なくめいそうし、よこになることはなかった。その結果、七日わりに、はち禅定ぜんじょう(ジャーナ)(色界四禅定しきかいしぜんじょう無色界四禅定むしきかいしぜんじょう)、神通じんずう(アビンニャー)(天眼通てんがんつう天耳通てんにつう他心通たしんつう宿命通しゅくみょうつう神足通じんそくつう)にたっしたのである。

02話へ続く

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                   SUMEDHA, THE BUDDHA-TO-BE

Four incalculable ages (asaṅkhyeyya) and a hundred thousand aeons (kappa) ago, in the flourishing City of Amaravatī, there lived a young son of a rich brahmin family named Sumedha. When he was still young, his parents passed away and left him with all their wealth. As a young brahmin, he studied the three Vedas, and before long he became expert and could recite them flawlessly.

When Sumedha had finished his education and come of age, the family treasurer brought him a list of treasures which he had kept since the passing away of Sumedha’s parents; the treasurer opened the treasure house—full of gold, silver, diamond, rubies, pearls and other valuables. The treasurer handed the entire wealth over to him, saying: “Young master, you inherit all this wealth which has come down from your mother’s side, your father’s side and from seven generations of your ancestors. You may do anything as you wish!”

One day, while he was sitting cross-legged in solitude, a thought occurred to him: “Miserable, indeed, is being born into this existence as the body will be plagued by old age, sickness and death. Only if I could abandon this body, would I be liberated from the misery of birth, old age, sickness and death. My parents, grandparents and ancestors could only amass the wealth, but they could not bring even a single gold coin with them when they passed away. I will also become old, sick, and finally dead one day. It will be good if, after having released this wealth, I leave the household life, go into the forest and become an ascetic. I will seek the path leading to the liberation from this bondage of life.”

Accordingly, after obtaining permission from the king, the mighty drum was beaten, and he proclaimed his great alms-giving to the whole City of Amaravatī: “Let whosoever desire my wealth come and take it!” Thus, people of various status, from various places, came and took Sumedha’s wealth as they wished.

 

Beginning the Ascetic Life

After the great act of charity, Sumedha renounced the world and left for the Himalayas on that very day. On reaching the foothills of the Himalayas, Sumedha walked along the hills and ravines, looking for a suitable place where he could live comfortably. There, he found a hermitage beside the river in the region of the Dhammika Mountain. After investigating that the leaf-hut belonged to no one, he decided to use it as his dwelling place. Then, he discarded his layman’s dress, donned the fibre-robe and made himself ascetic.

From that day onwards, he practised ascetic life without negligence. He understood that there are three categories of wrong thoughts—thoughts based on sense desire (kāma vitakka) leading one to sense-indulgence, thoughts based on ill-will (vyāpāda vitakka) leading one to killing, destroying and harming, and thoughts based on cruelty (vihiṁsa vitakka) leading one to causing harm and injury to others. Knowing this, the ascetic devoted himself totally to the practice of mental detachment and physical detachment (paviveka). Consequently, the next day he abandoned the hut and approached the foot of trees for his dwelling place.

The following morning, he entered a nearby village for alms-food. The villagers enthusiastically offered him choice food. After meal, he sat down thinking: “I became an ascetic not because I lacked food and nourishment. It would be good if I abstain from food made from cultivated grains and live only on the fruits that fall from trees.”

Since then, he only lived on the fruits that fall from trees. He made strenuous efforts to meditate incessantly only in the three postures of sitting, standing and walking, without lying down at all. As a result, at the end of the seventh day, he achieved eight attainments (jhāna) and the five supernormal powers (Abhiññā).

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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