親孝行のオウム(ジャータカ 第484話)
昔々、お釈迦様は前世でオウムの王様の息子 として生まれました。
お父さんの王様オウムが歳をとってきた時、息子にこう言いました。
「私は歳をとったので、もう遠くに飛んでいくことができなくなった。今日からはお前が王である。王の仕事をしっかりやっておくれ。群れの面倒をよく見るんだよ。」
若いオウムは群れの王様になりました。
その時から、若い王様オウムは、お父さんとお母さんがエサを探しに飛んで行かなくてもよいように、いつも食べるものを探して運んできました。
そして、たくさんの群れのオウムたちがちゃんと食べていけるように、群れを連れて行って、十分に食べさせました。
ある日、エサを探して飛んでいくと、とても良い米がたくさん実っている田んぼが見つかりました。
みんな喜んで、そこでたくさんの米を食べて帰りました。
みんなは食べるだけ食べてただ帰りましたが、王様オウムは、実った米がたくさんついている稲穂をひとまとめにしてクチバシでくわえて持って帰りました。
何日間か、そうやってその田んぼでおいしい米を食べました。
田んぼの持ち主は、たくさんのオウムが毎日やって来て、実った米をかたっぱしから食べてしまうのを見て、
「これは大変だ。もう何日かしたら、米がなくなってしまうぞ。」
と思って、田んぼにワナをしかけることにしました。
どこにワナをしかけたらよいかと、オウムたちを観察していると、群れの中で一番大きくて一番美しいオウムが目にとまりました。
そのオウムは、食べ終わって群れのみなが飛び立つ時、自分だけ、クチバシに稲穂の束をくわえていきました。
それを見て、この男はとても不思議に思いました。
「あの立派な姿のオウムは、何のために稲穂をくわえていくのだろう。
十分食べたであろうに、どういうわけなんだ?」
それからまた、ワナの場所を考えて、
「ここなら、あのオウムが降り立ってくるのではないか。」
と思われる場所に、ワナをしかけておきました。
翌日、若い王様オウムはたくさんの群れを連れて、田んぼにやってきました。
そして、最初に降り立つと、そこにしかけられたワナに足を入れてしまいました。
「しまった!!」
でも、声を出すことをぐっとこらえました。
だって、今自分が叫んだら、群れのみんなはおびえて、エサを食べないまま逃げて行ってしまうでしょう。
そう思って、がまんしていて、みんなが食べ終わった頃に、
「つかまった!」
と叫びました。
オウムたちは、びっくりして、怖くなり、みんな飛んで行ってしまいました。
ひとりになった王様は、寂しくて悲しくなりましたが、こらえてじっと立っていました。
田んぼの持ち主の男がやってきて、あの大きくて美しいオウムがワナにかかっているのを見ると、大喜びで、王様オウムの足をしばって家に連れて帰りました。
男はオウムを座らせると、自分が聞きたかったことを尋ねることにしました。
「オウムよ、おまえはよほどの食いしん坊なのだな。好きなだけ米を食べた後で、さらにクチバシにいっぱい稲穂をくわえて帰るのだからな。
いったいぜんたい、おまえの家には穀物蔵でもあるのかい?
それとも、私に恨みでもあってやっているのかい?
いったい、どこに米を貯めているのだ?」
男の問いを聞いて、王様オウムは人間の言葉でこたえました。
でもそのこたえは、なぞなぞのようなこたえでした。
「私はあなたに恨みなどありません。
それから、穀物蔵も持ってはいません。
林の中に私の家があります。
私はそこに稲穂を持って帰ります。
私には『借りたもの』があります。
借りたものを返すことは、だいじな仕事です。
それから『借り』を与えるのも仕事です。
さらに、宝物をたくわえます。
そういうわけで、私は稲穂を持って帰るのです。」
男は、オウムの立派な受けごたえにびっくりしましたが、こたえの意味はさっぱりわかりませんでした。
なので、身を乗り出して、さらに尋ねました。
「オウムよ、『借りたもの』とはなんのことだ。
『借りたものを返す』とはどういうことなのだ?
『借りを与える』とは誰に何をどうすることなのだ?
それから、宝物を貯えるとは、いったいどういうことだ?」
オウムは男に説明してあげます。
「私にはまだ翼が生えそろっていない幼い雛たちがおります。
その子らを養っていくことは私の仕事です。
私がその子らを食べさせて面倒を見て大きくすることは、その子らにはそれは『してもらったこと』として、『借りたもの』となります。
私は子どもらに『借り』を与えていることになります。
それから、私には年取った両親がいます。
私も父と母に大きくしてもらいました。
ですから、私は、私の父と母に『借りたもの』があるのです。
そういうわけで、私は稲穂を持って帰り、歳をとって飛べなくなった両親に食べさせて、私が『借りたもの』をお返しし、まだ飛べない小さな雛たちに食べさせて、『借り』を与えるという仕事をしています。
それから、他にもいるのです。
翼を痛めてしまって飛べない仲間や、病気で弱っているオウムたちがいます。
私は、そのオウムたちにも食べ物を分けてあげます。
そうすることは『宝を積み重ねること』だと言われております。
この三つはとても大切な『やるべきこと』です。
しっかりがんばれば、私も幸せになります。
まわりも幸せになります。」
男はじっと聞いていました。
聞いているうちに、心が清らかになり、とてもやさしい心になりました。
そして、こう言いました。
「オウムよ、君はすばらしく徳が高く、気高い鳥だ。
人間の中にも、こんなに高い人格の人は見当たらないよ。
私の心はとても感動した。
君はオウムの仲間を連れてきて、いつでも好きなだけ米を食べなさい。
私は君とまた会いたいし、会えたらとてもうれしいのだよ。」
男はそう言って、オウムの足の縄をはずして、傷ついたところにやさしく薬をつけてあげました。
「君は私に大切なことを教えてくれた。
私は幸せになったし、これからもっと幸せになるだろう。
私も幸福になる宝を積んでいくよ。」
そう言って、男は広い広い田んぼをオウムにあげようとしました。
でも、王様オウムは、自分たちが食べていけるだけの少しの土地を使わせてもらうことにしました。
「さあ、君のご両親がきっと心配している。早く帰って、安心させてあげなさい。」
と、王様オウムを自由にしました。
オウムはクチバシに稲穂をくわえて飛んで帰りました。
そして、無事を喜ぶお父さんとお母さんと仲間たちに、できごとをすべて話してあげて、いっしょに喜びました。
このお話のポイント
親が育ててくれることはけっして当たり前のことではありません。
とても苦労して、いっしょうけんめいに育ててくれます。
それをおぼえていましょう。
両親が歳をとったらめんどうをみてあげることが、子どものつとめです。
このつとめを果たすことで、幸せがおとずれます。
(おしまい)
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