寺子屋スジャータ

05話 アシタ仙人・・・泣き笑いの理由

南伝ブッダ年代記 | アシン・クサラダンマ | 花

アシン・クサラダンマ長老 著 
奥田昭則 訳 / チョウ・ピュー・サン 挿絵

第1部 出家まで 

第2章 生誕

05話  アシタ仙人せんにん・・・・わらいの理由りゆう

菩薩ぼさつ降誕ごうたんよろこびは、スッドーダナおうとカピラヴァットゥのひとびとだけではなく、アシタ仙人もおなじだった。仙人はスッドーダナ王の老師ろうしで、カーラデーヴァラというでもられていた。喜びにわいている帝釈天たいしゃくてん(サッカ)を頭目とうもくとする三十三天さんじゅうさんてん(ターヴァティンサ)の神々かみがみ(デーヴァ)から、王に高貴こうき王子おうじまれた、といていて、仙人もまた幸福こうふくになった。
ただちに仙人は宮殿きゅうでんった。賢者けんじゃである老師がおとずれてきたので、王はとても幸福だった。着座ちゃくざしてあいさつをわしてから、アシタ仙人は、こういった。
「おお偉大いだいなる王よ! 高貴な王子が生まれた、ときました。おにかからせていただきたい」
それで、王は赤ん坊の王子をれてきて、仙人にお辞儀じぎさせようとした。しかしみんなのおどろいたことに、赤ん坊のあしうごいて、仙人のあたまったのである。いまきたばかりのことにびっくりして、仙人はせきからち、菩薩のなみはずれたちからおもった。ぐっとにぎりしめ、菩薩に敬意けいいあらわした。このおどろくべき光景こうけいに、スッドーダナ王もまた、自分じぶん息子むすこ礼拝らいはいした。これが、王による最初さいしょの敬意の表明ひょうめいだった。
アシタ仙人は、それから赤ん坊の王子の身体からだ念入ねんいりに調しらべ、偉大な人物じんぶつのしるしのとくしょうしょう特相とくしょうをみつけた。仙人の智慧ちえをとおして、王子が確実かくじつにブッダになるであろうとったのである。これを知って、仙人はおおきな喜びのなかわらい、そのあと、ひどくいた。
この光景をて、宮廷きゅうてい臣下しんかたちが仙人にきいた。
とうとかたよ、われらの王子さまになに危険きけんなことがあるのでしょうか?」
「いや、そうではない。王子には何の危険もないであろう。実際じっさい、この方はブッダ、しょう自覚じかくしゃになられる。そしてわたしは、この方がさとりにたっするのをるチャンスがないのでなげいておるのだ。これは、わたしにはだい損失そんしつになるであろう」

アシタ仙人のおいナーラカ-沈黙ちんもく聖者せいじゃ

仙人は、王子がさとりに達するまではきていないだろう、とはっきりわかっていた。それで、かれの親族しんぞくにブッダをみるチャンスがありそうな者がいないか、じっくりかんがえた。甥のナーラカなら、あるだろう、と予感よかんした。宮殿から退出たいしゅつしたあと、いもうといえを訪れた。甥に、いますぐ出家しゅっけし、三十五さいでさとりに達するはずの菩薩にわって行者ぎょうじゃになるように、とつよすすめ、そのにさせた。
わかいナーラカは伯父おじ信頼しんらいしていて、伯父がやくたないことを自分にうながすはずがない、と考えたのだ。かれはただちに行者のころも托鉢たくはつわん市場いちば入手にゅうしゅして、かみひげをそり、衣をけた。ヒマラヤ山脈でときごし、修行しゅぎょう没頭ぼっとうした。
そののちヒマラヤ山麓さんろく丘陵きゅうりょうで三十五ねんったあと、ナーラカは菩薩(ボーディサッタ)がブッダになったと知った。それは世尊せそんが五比丘びくに最初の説法せっぽう転法輪てんぽうりんきょう(ダンマチャッカパヴァッタナ・スッタ)」をかれてから七日なのかで、かれが世尊にいに行ったとき、世尊はバーラーナシーの仙人集会しゅうかいしょ(イシパタナ)の鹿野苑ろくやおん(ミガダーヤ)にまわれていた。世尊は、四聖諦ししょうたいにみちびく高貴な実践じっせんで、心中しんちゅう感情かんじょうめっするただしい牟尼むにぎょう(モーネイヤ)(せいなる沈黙行ちんもくぎょう)をかれにおしえ、ほどなくナーラカは阿羅漢あらかんたっしたのだった。

06話へ続く

 


Episode 05 THE LAUGHING AND WEEPING OF ASITA

The joy over the Bodhisatta’s birth was felt not only by King Suddhodana and the citizens of Kapilavatthu, but also by Asita the sage. The teacher of King Suddhodana, he was also known as Kàëadevala. Having heard from the joyous Tàvatiÿsa devas, headed by Sakka, about the birth of a noble son to the king, he became very happy, too.

Immediately, he went to the palace. The king was very happy being visited by his wise old teacher. Having been seated and exchanging words of greeting with the king, the sage Asita said: “O great king! I have heard that a noble son has been born to you. I would like to see him.” Then, the king carried the baby prince to the sage to let the child pay homage to the royal teacher. But to the surprise of all, the feet of the baby turned and rested on the sage’s head. Astonished by what had just happened, the sage rose from his seat and realised the extraordinary power of the Bodhisatta. Clasping his hands, he paid obeisance to the Bodhisatta. Seeing the amazing scene, King Suddhodana also saluted his own son. This was the first reverence by the king.

The sage Asita then inspected the body of the baby prince and found the major and minor marks of a Great Man. Through his wisdom, he knew that the prince would certainly become a Buddha. Knowing this, he laughed in great delight, but wept bitterly afterwards.

Seeing the scene, the courtiers asked the sage: “Venerable sir, will there be any danger to our master’s son?”

“O no, there will not be any danger to him,” the sage replied, “I am laughing because I am very lucky to see him. In fact, he will become a Buddha, a Fully-Enlightened One, and I lament because I will have no opportunity to see the attainment of his Enlightenment. This will be a great loss to me.”

 

The Sage Asita’s Nephew, Nàlaka

The sage realised that he would not live until the prince attained Enlightenment. He then pondered whether someone among his relations would have an opportunity of seeing the Buddha. He foresaw that his nephew Nàlaka would. After leaving the palace, he visited his sister’s house. He summoned his nephew and encouraged him to leave the world at once and become a recluse in the name of the Bodhisatta, who would attain Buddhahood at the age of thirty-five.

The young Nàlaka had confidence in his uncle as he thought that his uncle would not have urged him to do what was not beneficial. He immediately acquired his robes and alms-bowl from the market, shaved his hair and beard, and put on the robes. He spent his time in the Himalayas and devoted himself to ascetism.

Later, after waiting for thirty-five years in the foothills of the Himalayas, Nàlaka came to know that the Bodhisatta had become a Buddha. It was on the seventh day after the Blessed One preached the Dhammacakkappavattana Sutta to the five ascetics when he approached the Blessed One, who was residing in the Migadàya, at Isipatana, near Bàràõasã. The Blessed One taught him the practice of Moneyya (the noble practice leading to the Four-Path Knowledge), and before long the Venerable Nàlaka attained Arahantship.

To be continued

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アシン・クサラダンマ長老

1966年11月21日、インドネシア中部のジャワ州テマングン生まれ。中国系インドネシア人。テマングンは近くに3000メートル級の山々が聳え、山々に囲まれた小さな町。世界遺産のボロブドゥール寺院やディエン高原など観光地にも2,3時間で行ける比較的涼しい土地という。インドネシア・バンドゥンのパラヤンガン大学経済学部(経営学専攻)卒業後、首都ジャカルタのプラセトエイヤ・モレヤ経済ビジネス・スクールで財政学を修め、修士号を取得して卒業後、2年弱、民間企業勤務。1998年インドネシア・テーラワーダ(上座)仏教サンガで沙弥出家し、見習い僧に。

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ヴィパッサナー修習(観察冥想)実践、仏教の教理を学び、先輩僧指導の下、2000年までジャワ島、スマトラ島で布教に従事。同年11月、ミャンマーに渡り、チャンミ・イェッタ森林冥想センターで修行し、2001年、導師チャンミ・サヤドーのもとで比丘出家。同年、ミャンマー・ヤンゴンの国際仏教大学(ITBMU)入学、2004年首席(金メダル授与)卒業。同年以降2006年まで、バンディターラーマ冥想センター(ヤンゴン)、バンディターラーマ森林冥想センター(バゴー)でヴィパッサナー冥想修行。

奥田 昭則

1949年徳島県生まれ。日本テーラワーダ仏教協会会員。東京大学仏文科卒。毎日新聞記者として奈良、広島、神戸の各支局、大阪本社の社会部、学芸部、神戸支局編集委員などを経て大阪本社編集局編集委員。1982年の1年間米国の地方紙で研修遊学。2017年ミャンマーに渡り、比丘出家。

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著書にヴァイオリニスト五嶋みどり、五嶋龍の母の半生を描いた「母と神童」、単一生協では日本最大のコープこうべ創立80周年にともなう流通と協同の理念を追った「コープこうべ『再生21』と流通戦争」、新聞連載をもとにした梅原猛、今出川行雲、梅原賢一郎の各氏との共著 「横川の光 比叡山物語」。2021年、逝去。
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